You Tubeに「一〇八の魂」 光畑浩治
今、とんでもない時代になっている。ネットでプライベート映像が世界を駆け巡る。
宣伝効果は大、なのだが、見方変えれば恐ろしい時代でもある。モノは使い方次第。
二〇一四年七月一日、二人だけの試写会をした。六月に高校時代の同級生、棚田看
山との共著『田舎日記一文一筆』を出版。その本の出来るまで約八ヵ月、若手の映画
監督・橘剛史(二七)が書家を追った。ドキュメント映画の最終チェックを兼ねて棚
田と二人、映像確認をした。お互い、姿が画面に現れるのは気恥ずかしい思い。
棚田は、本の「まえがき」で「(略)一文一筆への挑戦でいざ揮毫してみると、なか
なか思い通りにはいかない。それぞれの筆にはそれなりの持ち味がある(略)」と記し
た。それを「(略)人が生きていく中で、過去、現在、未来に配される六根の『百八煩
悩』の一〇八をケジメの数とし、こころ浄化の意味を込めた。そして、棚田君から一
〇八の筆による一〇八の書が届いた(略)」と「あとがき」で受けた。
エッセイと書のコラボレーションは珍しく、また一頁、一頁の書、それも一〇八頁
全て揮毫した筆が違う書という本は出版されてはないようだ。何故、筆の材質、種類
に拘ったかというと、書の鑑賞では描かれた書の評定はするものの、書いた「筆の毛」
についての視点はなかったように思う。何の「毛」で描かれた書であるのか、の見方
があってもいい、鑑賞眼に採り入れてもいいではないか、と常々思っていた。
映像は、棚田が作務衣姿で書斎に座り、書を語る、を縦糸に筆の材料探しや揮毫の
姿など、様々な書への関わりをカメラは追う。上映時間一〇分、タイトルは空白。ド
ラマは、一本、筋の通った流れですすむ、静かな作品に仕上がっていた。
書で還暦を迎えた彼の語りと動きに、これまで培ってきた修練の真心が魂をゆらす。
題は、人間が生きてゆく煩悩「一〇八の魂」では、どうだろうと提案。すると三人、
お互い阿吽の呼吸で頷いた。それでタイトル字は、彼の追い求める筆のひとつ、平成
元年、福岡県みやこ町犀川木井馬場の山里で生まれた「かずら筆」で揮毫した。
ネット時代、You(あなた)Tube(テレビジョン=ブラウン管)に日々アッ
プされる映像に、七月九日、筆と墨と紙、それに人を追った作品「一〇八の魂」が
加わった。この映像に、世界は、どんな反応を見せるだろうか。
2014(H26)7月9日