『[新版]フジタよ眠れ:絵描きと戦争』菊畑茂久馬 著
■本体2500円+税/四六判/244頁/上製
■ISBN978-4-910038-43-8 C0095
■2021.11刊
■書評・紹介:「日本経済新聞」2021.12.23
「戦後」は乗り越えられたか──戦争画論、四十四年ぶりの復刊
戦後長らく忌避・隠蔽されてきた藤田嗣治ら描く「戦争画」の謎に肉薄し,絵画表現についての自立した批評を鋭く問い続けた画家・菊畑茂久馬の代表的著作を復刊。山本作兵衛炭坑画についての初論考も収録。傑作連続エッセイ「南国狂歌」を付す。
[解説]山口洋三「個人と国家との間で:菊畑茂久馬の峻厳なる問い」
目次
フジタよ眠れ:絵描きと戦争
川筋画狂人:山本作兵衛の絵
絵描きの中の戦争
補 遺
三十年前の轍
戦争画はどこに
素描のままに
母の背中/母の耳/水銀の玉/アパートの絵/一足の靴
目玉/老骨讃歌/戦争画珍事/田舎侍/父子二態
〔『フジタよ眠れ』〕あとがき
* *
南国狂歌
一 里も無惨なり
二 恥多き里
三 兎死して狐悲しむ
四 わが里も消えたり
五 東都に上らん
六 異国はまだ見えませぬか
七 楽しかりしか苦しかりしか
八 癌来たる
九 丁々発止
十 拾ってくれた神々
十一 美は乱調にもなし
十二 酒狂日誌
個人と国家との間で:菊畑茂久馬の峻厳なる問い[福岡市美術館学芸員 山口洋三]
初出・再録一覧
本文より
●「フジタよ眠れ」より
藤田は狂ってしまった。藤田は五十八歳、昭和十八年でとうとう爆発してしまった。あの思い出深い懐かしいモンパルナスも、女の肌を思わせる乳白のマティエールも、数々の栄誉も名声も、みんな完全に捨ててしまった。藤田の悲しくも凄惨な、初老の狂乱であった。
やさしいパリの香に包まれた"モンパルナスの画家"藤田はもうここにはいない。
多くの画家が敗色濃い戦況を前に、主題を失い戦争画を放棄するのであるが、藤田だけは唯一人その場に残り終始嗜虐的に対象に食いつき、嬉々として描けて描けてたまらず、《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》が二十六日間、《二月十一日(ブキ・テマ高地)》が十六日間、一日平均十四時間の制作は食事ももどかしく、口をもぐもぐさせながらアトリエに入っていたそうだが、三〇〇号前後の殺戮の大画面に歓喜の声をあげて飛びついていたのである。(略)
《血戦ガダルカナル》は藤田が一番自信を持っていたとのことだが、この"血戦"が実は、日本の南方方面の敗退の幕開けであったわけである。(略)われわれの画室は因循無気力な生活体験を塗りたくる工房であったり、素人談義の観念の図解にふける密室であったりするが、彼の画室では、殺戮者が日ごと夜ごと訪ねて来て、彼の職人的描写の筆に触れられて悦惚の悲鳴をあげていたのである。《薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す》の宙に飛んだ米兵の首は、三十年たった今も、東京のど真中、東京国立近代美術館の地下で宙に浮いているのである。
あれから三十年、この地上ではまだ首を落とし足らずに殺戮が続いている。この猿のように血に飢えた兵隊を、あたかも着せかえ人形のようにわれわれは次々に誰かに重ねているかもしれない。
歴史はこの血のにおいの漂う画面を、月日とともに風化させていくかもしれない。しかしこれはまぎれもなく、南太平洋侵略の夢がもろくも崩れさろうとする時の日本人の姿である。われわれは、たかが一枚の画布ほどにも、戦後このかた、それぞれの中にこのことを沈めていないのである。藤田とわれわれは今、全く緊迫した関係にある。
* * *
●「個人と国家との間で」[山口洋三]より
こうした美術家をめぐる内部と外部の問題は、現代の美術を考える上でも大きな示唆を与えてくれる。私たちは、美術家の作品を評価する際、彼、彼女の表現動機がどこに存し、いかに表現されているかを真剣に討議しているだろうか。確かに、もういまさら「戦後」を問うことはアナクロに過ぎるかもしれないが、しかし、事は戦争だけに限るものではない。万博の喧騒を見ればわかるように、凡百の美術家は外部の変化に臨機応変に対応しているようで、実は時流に乗ろうと右往左往しているだけではないだろうか。そこから第二の藤田嗣治は出てくるのか。あるいは逆に、そんなことお構いなしに、美術界に背を向けてただ自身の内部を見つめる作兵衛のような画家はいるのか。
【著者紹介】菊畑茂久馬(きくはた・もくま)
1935年,長崎市に生まれる(本籍徳島県)。1957〜62年,前衛美術家集団「九州派」に参加。第10回(1958年),第12回(1960年)読売アンデパンダン展に出品。南画廊で《奴隷系図─円鏡による》(1962年),《ルーレット》(1964年)を発表。その後,沈黙の期間を経て《天動説》(1983年),《月光》(1986年),《月宮》(1988年),《海道》(1990年),《海 暖流・寒流》(1990年),《舟歌》(1993年),《天河》(1996年),《春風》(2011年),《春の唄》(2015年)を発表。2020年,死去。
●著書
『フジタよ眠れ─絵描きと戦争』葦書房,1978年
『天皇の美術─近代思想と戦争画』フィルムアート社,1978年
『小さなポケット』(文:菊畑茂久馬/絵:働正)葦書房,1980年
『戦後美術の原質』葦書房,1982年
『焼け跡に海風が吹いていた─僕のはかた絵日記』葦書房,1984年
『反芸術綺談』海鳥社,1986年(新装版:2007年)
『絶筆─いのちの炎』葦書房,1989年
『菊畑茂久馬著作集 1 絵描きと戦争』海鳥社,1993年
『菊畑茂久馬著作集 2 戦後美術と反芸術』海鳥社,1993年
『菊畑茂久馬著作集 3 絵画の幻郷』海鳥社,1994年
『菊畑茂久馬著作集 4 素描のままに』海鳥社,1994年
『絵描きが語る近代美術─高橋由一からフジタまで』弦書房,2003年月
●主要展覧会図録
「菊畑茂久馬展」,北九州市立美術館,1988年
「菊畑茂久馬:1983-1998 天へ,海へ」,徳島県立近代美術館,1998年
「菊畑茂久馬と〈物〉語るオブジェ」,(福岡県立美術館での展覧会図録),海鳥社,2007年
「菊畑茂久馬─ドローイング」,長崎県美術館,2009年
「菊畑茂久馬:戦後/絵画」,(福岡市美術館・長崎県美術館での展覧会図録),grambooks,2011年
「菊畑茂久馬─春の唄」,Kaikai Kiki Gallery,2017年