『関門北九州の戦争と平和:
米国戦略爆撃調査団資料の分析[下関市・小倉市・福岡県京都郡]』 梶原康久著
■本体2500円+税/A5判/324頁/並製
■ISBN978-4-911429-11-2 C0031
■2025.7
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「肉声で伝える戦時下の市民生活」
1945年終戦直後に米国は,空爆の効果と戦争能力を調べるため,日本全国60地点に戦略爆撃調査団を派遣,無作為抽出した日本人への聞き取り調査を行った。本書は,その報告書に記録された下関市・小倉市・福岡県京都郡の3地域計178名の聞き取りに基づき,「銃後」を生きた人々にとっての「戦争と平和」を検証する。軍都・小倉市の建物疎開,火野葦平の尋問記録にも触れる。
目次
はじめに
序 章 米国戦略爆撃調査団の「戦意」調査について
第一章 空襲と地域 T 下関市
第二章 空襲と地域 U 小倉市
第三章 空襲と地域 V 福岡県京都郡―行橋町・豊津村
第四章 戦争と映画館 太平洋戦争期の下関市における映画興行と観客の動向
第五章 軍都・小倉市の建物疎開
第六章 火野葦平の一九四五年 米国戦略爆撃調査団尋問記録と『革命前後』の比較
補 遺 レジデント・インタビュー(抄)ほか
あとがき
本文より
アジア太平洋戦争(一九四一〜四五年)は第二次世界大戦のうち、アジア太平洋地域の戦争になります。この戦争に負けた日本は、一九五二(昭和二七)年までアメリカを中心とする連合国に占領されることになります。
敗戦直後、日本の戦争能力の調査を行ったのが米国戦略爆撃調査団(USSBS)です(以下「調査団」と略します)。戦争能力のうち、日本人の戦意について調査した部門は、全国六〇地点で市民から聞き取り調査を行いました。この六〇地点の中に、「下関市」、「小倉市」、「福岡県京都郡」が含まれていました。(略)
一地点の資料群だけで相当な量があります。それが六〇地点分もあるのです。文字化されて残された当時の人々の肉声のうち、世に紹介されたのは、ほんのごく一部に過ぎません。下関市や小倉市や京都郡の資料群は、だれにも知られることなく今日まで眠っていました。その中に収録された当時の人々のありのままの声をできるたけたくさん甦らせ、平和の尊さを伝える役割を果たせたら、こんなに嬉しいことはありません。(「はじめに」より)
【著者紹介】 梶原康久(かじわら・やすひさ)
1971年,福岡県北九州市生まれ。立教大学文学部史学科卒業,同大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了。教員生活の傍らで地域史研究に従事(日本近現代史)。福岡地方史研究会会員。