『樺太・瑞穂村の悲劇』コンスタンチン・ガポネンコ著 井上紘一/徐満洙=訳
■本体2000円+税/A5判/246頁/並製
■ISBN978-4-905327-19-6 C0036
■東亜大学東アジア文化研究所推薦図書
■各紙に紹介されました。「出版ニュース」10月上旬号/「岐阜新聞」9.9/「神奈川新聞」8.26/「毎日新聞」8.15夕刊 戦争が生む人間の狂気/「長周新聞」7.23/「東洋経済日報」7.20
なぜ隣人を殺さねばならなかったのか---
1945年8月,ソ連侵攻直前に南樺太・瑞穂村で起きた朝鮮人虐殺事件。
村人たちをして,女性・幼児を含む27名の殺戮に向かわせたものは何だったのか---
ソ連軍による尋問調書と裁判記録をもとに,サハリン在住の作家がその経過を記述。
恐怖に直面した人々の心理と行動を通し人間性の真実が明らかになる。
【大団円 より】
先の戦争では、誰彼を問わず、非業の死を遂げた父親か兄弟あるいは息子が必ずおり、それぞれはまた自前の悩みや自前の苦しみも抱えている。瑞穂で殺された人たちも、誰かにとってはやはり近親者ではなかったか。試しに、他人の痛みをわが身に引き受けてみようではないか。そうすれば、悲しい犠牲者を数えるときに、どの数字から始めるべきか、などという愚問を提起する者は、どこにもいなくなるであろう。
私は望みたい。ほかならぬ当地、旧瑞穂村において、朝鮮人であれ、日本人であれ、またロシアの農民であれ、教師であれ、役者であれ、商人であれ、挙ってこの殺人事件に震撼されんことを、そしてまた─誰がどの国に暮らすかに拘らず、破壊ではなく建設の中で、一人残らず救われるべきであるという──一つの存念も確認されんことを。
【序 より】崔吉城・東亜大学東アジア文化研究所所長
一九四五年八月、第二次世界大戦の終わりごろ、当時樺太の一つの農村である瑞穂村で朝鮮人虐殺事件が起きた。ソ連は終戦期に満州や樺太などへ侵入し、その終戦状態の時に、樺太の一農村でうわさによって虐殺が起こったのである。つまり脅威の前では人間らしさを守ることは難しいということである。われわれの社会では、身の安全が侵害されないよう対面や礼儀、法律などが必要によって組み立てられている。戦争中には心の平和、人権などを守ることは難しい。本当の平和の心を作るべく、よりダイナミックな教育や文化装置が必要である。この書を通してそうしたメッセージが伝わることを期待する。
【著者紹介】 コンスタンチン・ガポネンコ
1932年,ウクライナ生まれ。サハリンの現代史ノンフィクション作家。ユジノ・サハリンスク市在住。18歳のときにサハリンへ移住,1950年代末から80年代にかけて八年制学校の歴史教師。80年代半ばに作家活動を開始して現在に至る。代表作『サハリンでわれらは如何に暮らしたか』(2010)のほか,13作品が上梓されている。
【訳者紹介】 井上紘一
1940年,東京生まれ。北海道大学名誉教授(文化人類学者,北方ユーラシア民族学専攻)。[編著書]A Critical Biography of Bronis_aw Pi_sudski (vols. 1-2). Saitama University (2010); Pilsudskiana de Sapporo, nos. 1-6, Sapporo-Saitama-Hirakata (1999-2010); 『ピウスツキによる極東先住民研究の全体像を求めて』(北大スラブ研究センター,2003),『樺太アイヌの民具』(北海道出版企画センター,2002),[訳書]ゲ・デ・チャガイ編『朝鮮旅行記』(東洋文庫547,平凡社,1992)など
【訳者紹介】 徐 満洙(ソ・マンス)
1947年,下関市に生まれる。在日二世。1969年,朝鮮大学校文学部卒業。現在,下関市において建設業に従事。高校の時からロシア語を学び,ボランティアで通訳も行っている。