『九州・沖縄の巨樹:遥かなるいのちの旅』榊 晃弘写真集
■本体4000円+税/A4判変型/128頁/上製
■ISBN978-4-910038-18-6 C0072
■書評・紹介:「西日本新聞」2020.8.1「毎日新聞」8.1「読売新聞」8.27「川北新報」9.13
巨樹と対峙し、巨樹のもつ生命力を写し込んだ入魂の写真群。
東日本大震災/福島原発事故を契機に、九州・沖縄に現存する巨樹を尋ね歩いて十年。
天変地異や戦争にも耐え、何百年、何千年と同じ場所に佇み、
人々の喜怒哀楽をずっと見つめてきた歴史の証言者・巨樹。
その千姿万態、それぞれの遥かなるいのちの旅を伝える写真集。九州・沖縄の巨樹100。
■倉本聰氏序文「巨樹に聴く」より抜粋
コロナ騒ぎで人に逢うなと命じられ、二ケ月近く山ごもりの日々を過しているが、全く一日として苦痛を感じない。この写真集を、そしてそこにいる巨樹たちと毎日対面して、至福の時を過している。まずそのことを榊氏にお伝えし、感謝と敬意の念を捧げたい。……
巨樹に逢う。古木にお目にかゝる。
すると僕の気はピシッと引き締まる。頭が垂れる。祈りたくなる。何かその樹から教わりたくなる。それは彼らが大先輩だからである。
考えてもみて欲しい。
樹齢五百年の樹は室町から安土の頃萌芽した樹である。織田信長とほぼ同年である。樹齢千年の樹は平安朝の樹である。彼らはその頃からこの世に生きてきた。そしてその間の歴史を見てきた。彼らの樹皮の下にかくされた細胞と一つ一つにはその間に蓄積された膨大な知識と見識が、ぎっしり埋めこまれているにちがいない。そして思索も哲学も。
彼らの枝の曲がり具合。肌に刻まれた無数のしわ。繊維のねじれ具合。付着した苔、地位類。それらを見ていると彼らの生き抜いてきた時の重みが、否応なく僕らを圧倒する。……
古木巡礼をつづけているが、齢とともに体が衰えてきて中々山に入れなくなった。それでも巨樹に恋し、巨樹に逢う為の巡礼を続けている。
巨樹たちの呟く囁きを、必死で聴こうと耳を傾ける。
■撮影後記より抜粋
私たちは昔から自然と共生しながら、その恩恵に浴して暮らしてきました。しかし、現在の自分の生活を振り返ってみると、科学技術の発達がもたらす利便性に走りすぎて、自然の大切さを忘れかけているような気がします。
そのことを強く意識させられたのは、二〇一一年三月十一日の東日本大震災による福島の原発事故です。私は眼鏡橋の取材で中国に滞在中、たまたま目にした大事故のTVニュースに強い衝撃を受けました。絶対安全といわれてきた原発がなぜだ……?
これをきっかけに自然を見直してみようと思い、かねてから興味をもっていた九州・沖縄の巨樹を撮りはじめました。「巨樹」というのは、林業の世界で、地上一・三メートルの高さの幹周りが五メートル以上の大樹のことを指します。
巨樹のある場所は一部を除いて神社やお寺の境内、たまには個人の屋敷など、身近な生活圏にあるので、訪ねようと思えば気楽に訪ねることができます。地元の人たちが親しみをこめて「○○さん」とか、「○○殿」と巨樹を呼ぶのは、住民との間に親密な関係が存在するからでしょう。彼らは台風、水害、旱魃、地震に耐えて、何百年、何千年も同じ場所にたたずみ、そこで暮らす人たちの喜怒哀楽をずっと見つめてきた歴史の証言者です。
巨樹は若い木には見られない個性的な樹相をもっていて、一度見ると忘れられません。人でいえば人相のようなものです。
九州・沖縄に現存する巨樹の中で、ひときわ多いのは『古事記』や『風土記』にも登場するクスです。気候温暖な九州の風土は、全国的に見て巨大クスの宝庫だといってもいいでしょう。このクスの強い生命力に圧倒されました。
こうして二〇一一年六月から二〇二〇年四月までの約十年間に撮影した巨樹の中から、百本を選んでこの本に掲載しました。九州・沖縄に現存する数からみれば一部にすぎませんが、逞しい生命力をもち、私にとっては個性的で存在感のある巨樹たちです。
【著者紹介】 榊 晃弘(さかき・てるひろ)
写真家。1935年、福岡市に生まれる。1954年、福岡県立修猷館高等学校卒業。1958年、西南学院大学商学部卒業。日本写真協会新人賞及び年度賞、土木学会著作賞ほか受賞多数。(公社)日本写真協会会員、(公社)福岡県美術協会名誉会員、福岡文化連盟理事 【写真集】『装飾古墳』(朝日新聞社、1972年)、『装飾古墳』(泰流社、1977年)、『眼鏡橋』(葦書房、1983年)、『九州・沖縄 歴史の町並み』(東方出版、2001年)、『薩摩の田の神さぁ』(東方出版、2003年)、『ローマ橋と南欧石橋紀行』(かたりべ文庫、2006年)、『万葉のこころ─筑紫路逍』(海鳥社、2008年)