『長溥の悔恨:筑前黒田藩「乙丑の獄」と戊辰東北戦争 』池松美澄 著
■本体1500円+税/四六判/214頁/並製
■ISBN978-4-910038-45-2 C0093
■2021.12刊
日本の「開国」は、あれでよかったのか。
昨夜まで攘夷、天誅を叫び、会津を始めとする忠義の臣民を非道に殺戮しながら、夜が明けるや卑しいまでの西洋崇拝。
薩長中心の専制を冷ややかに見ながら、藩主黒田長溥は悔いる。
あの乙丑の年の大粛清は一体、何だったのか。
月形洗蔵、加藤司書らが在れば、新しき政治の中枢に加わり真っ当な国の礎となったのではないか──。
悲憤の歴史小説。
目次
プロローグ
島津の血
お由羅騒動
蘭 癖
斉彬の死
筑前勤王党
加藤司書
勤王派と佐幕派の対立
犬鳴山別館築造事件
根を切り枝葉を枯らせ
長崎・イカルス号事件
革命前夜
二本松藩、会津藩の悲劇
太政官札贋造事件
エピローグ
本文より
あの乙丑の年の大粛清は一体、何だったのか。佐幕派の連中に焚きつけられた保守・重臣の上申とはいえ、どうしてあのような狂気に走ってしまったのか、長溥は自分でもそのことがわからない。
佐賀の鍋島閑叟(直正)のように、妖怪と言われようが何と言われようが、のらりくらりと日和見を決め込んで、幕府に忖度などせずやり過ごしておけばよかった、と今にしては思う。月形洗蔵、加藤司書、建部武彦、衣非茂記たち有為の人材を生かしていたら、彼らは必ずや新政府の要人になっていたに違いない。
また、兄弟のようにして育った島津斉彬や老中・阿部正弘がもっと長生きしてくれていたら、彼らと協力し合って今の政府とは違う新国家の骨格を創り、会津藩、二本松藩などに「賊軍」という言われなき汚名を着せ、この世のものとも思えない阿鼻叫喚の苦しみを与えることなど断じて許さなかったのに、と思う。
そして、薩長を中心とした過激派「志士」によるやりたい放題の今の政府とは違う新政府を建設していたのだ。そうすれば我が藩も太政官札の贋造事件など起こすことはなかったに違いない。
この太政官札贋造事件により、廃藩置県の前に藩はお取り潰しになった。もとの家臣や領民に顔向けなどできるはずがない。だから福岡には行きたくても行けないのだ。この寂しさ、やるせなさ、空虚感を鎮めるにはどうすればいいのだろうか。いっそ父祖の地である鹿児島に行って桜島でも見て過ごそうかとも思う。
等々、悔恨の思いは次々と果てしなかった。
(「プロローグ」より)
【著者紹介】池松美澄(いけまつ・よしきよ)
昭和18(1943)年,福岡県三潴郡江上村(現・久留米市城島町)に生まれる。昭和43年,佐賀大学文理学部法学専修卒業。5年余の銀行勤務の後,日本住宅公団(現・独立行政法人都市再生機構・UR)へ。関連会社を経て,64歳で退職。著書に『朝焼けの三瀬街道─信念を貫き通した男 江藤新平』(佐賀新聞社,2019年)。福岡市在住。