図書出版

花乱社

『筑前竹槍一揆研究ノート』石瀧豊美著

 

■花乱社選書2
■本体1500円+税/A5判/160頁/並製
■ISBN978-4-905327-17-2 C0021
■各紙で紹介されました。
「日経新聞」九州版 8.15/「西日本新聞」7.14 筑前竹槍一揆の教訓、後世へ/「熊本日日新聞」6.3
■著者の本:『頭山満・未完の昭和史』

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明治六年六月の大旱魃を背景に、福岡県嘉麻〔かま〕郡の一角に起こった農民一揆はたちまち筑前全域へと広がり、一揆参加人員は三〇万人(あるいは一〇万)と言われ、福岡県庁焼打ちにまで発展する空前の大一揆となった。
これを「解放令」(明治四年)反対一揆として捉え、竹槍一揆研究の水準を劃した記念碑的論文を中心に、関係論考を一冊に収めた待望の書。 


    【目次】
    まえがき
    [ T ]
    筑前竹槍一揆と「解放令」
      一 はじめに
      二 「解放令」布達と民衆の動向
      三 部落はなぜ焼かれたか
      四 明治初年の社会運動の流れの中で
    「解放令」反対一揆における民衆意識をめぐって-----筑竹槍一揆を例に
      一 はじめに
      二 「世直し一揆」説の論理を疑う
      三 旧藩主へのラブコール
      四 廃藩置県後の年貢サボ
      五 おわりに─新政反対の評価
    [ U ]
    筑前竹槍一揆 『筑紫野市史』から
    筑前竹槍一揆 『大野城市史』から
    筑前竹槍一揆 『太宰府市史』から
    筑前竹槍一揆とその影響 『新修志摩町史』から

     

    【本文より】 
     明治六年六月の大旱魃を背景に、嘉麻郡の一角に起こった農民一揆は、たちまち筑前全域へと広がり、一部は筑後地方をもまきこみつつ、一揆参加人員は三〇万人(あるいは一〇万)と言われ、福岡県庁焼打ちにまで発展する空前の大一揆となった。いわゆる筑前竹槍一揆である。
     一揆はその要求の一つに「解放令」反対を掲げ、一揆の過程で被差別部落の二〇〇〇戸以上の家屋を焼き払った。「解放令」後の被差別部落民の積極的な行動が一般民衆の目に傲慢と映り、次第に発火点に達して、一気に爆発したのが竹槍一揆であった。
     したがって、筑前竹槍一揆の本質的評価という意味では、「解放令」反対の要求・行動を軸として考察すべきだということになろう。上杉聰氏も指摘しているように、筑前竹槍一揆ははっきりと「解放令」反対一揆として定義しなければならないのである。
     「解放令」反対一揆にあっては、皮肉な言い方をすれば、大衆的に、戦闘的に部落を襲っているのであり、権力への抵抗というかたちで、「解放令」の撤回を迫る。ここでは、大衆的=進歩的という図式は通用しない。そのような図式を排するところから、筑前竹槍一揆の研究はスタートしなければならないと言うべきだろう。"民衆"が、それ自体として厳然として持つ差別性─というものを直視すべきなのである。
    ───「筑前竹槍一揆と『解放令』」より抜粋

     


    【著者紹介】石瀧豊美

    1949年,福岡市に生まれる。大学は物理学科で,独学で歴史研究の道に入る。イシタキ人権学研究所所長,福岡地方史研究会会長,福岡県地方史研究連絡協議会(福史連)副会長。明治維新史学会,教育史学会,軍事史学会に所属。
    【主要著書】
    『玄洋社発掘─もうひとつの自由民権』1981年
    『増補版 玄洋社発掘─もうひとつの自由民権』1997年
    (以上西日本新聞社,絶版)
    『解死人の風景─差別があたりまえだったころ』2003年(絶版)
    『鳥の目と虫の目で見る部落史─部落史再入門 上巻』2003年
    『身分が見える,身分がわかる─部落史再入門 下巻』2003年
    『部落史は思ったよりおいしい─石瀧豊美講演録』2004年
    『筑前竹槍一揆の研究』2004年(絶版)
    『身分としての百姓,職業としての百姓』2007年
    『近代福岡の歴史と人物─異・偉人伝』2009年
    (以上イシタキ人権学研究所)
    『玄洋社・封印された実像』2010年,海鳥社
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    イシタキ人権学研究所 http://www5e.biglobe.ne.jp/~isitaki/
    イシタキ・ファイル(ブログ) http://monokatari.jp/isitaki/
    イッシー閑読閑語(ブログ) http://isitaki-j.at.webry.info/