『熟年を生きる:学問と人生のはざまで』徳本正彦著
■本体2000円+税/四六判/400ページ/上製
■ISBN978-4-905327-99-8 C0095
「教えるとは共に希望を語ること 学ぶとは真実を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン)
卒寿を迎えようとする政治学者が,人間の学であり万人の学たる政治の学を見据えつつ,退職を挟む熟年期40年間を生きてこその人生の奥行きとその味わいを率直に伝える。
熟年期の存在証明たる政治学論文と人生の滋味を伝えるエッセイ。
【本文より】
私は、心中では青春の魂を失うことなく、熟年にふさわしい生き方をしていこうと思いました。以来今日までの四〇年は、大学に在職していた二〇年を前期とし、退職後の二〇年を後期とする、熟年の時代を生きてきたというわけなのです。そして今、この熟年の時代が終わりに近づきつつあることを予感するようになり、それを生きた証の一端を示すことによって、最後のメッセージとしようと思うに至ったのです。
この私のメッセージは、熟年前期に書いたいくつかの論文(第一部)と、熟年後期に記した数十のエッセイ(第二部)とから成り立っています。ここに収録した論文とエッセイは、私の中ではいわば相貌の記録でして、前者と後者とは、己の熟年時代の存在証明であって、学を問うての苦吟があったればこそ、旅や読書の愉しみにひたれたというふうに、両者は繋がっていて、そこに学問と人生とのはざまに生きた葛藤が込められているからです。(「はじめに」より抜粋)
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私がここで声を大にして強調しておきたいのは、戦争をするのとしないのとの違いは、とてつもなく大きいということです。戦争というものは、為政者の側からすれば、非常手段による政策の貫徹ですが、人間の立場からすれば、正義の名のもとに行われる大規模な殺人と破壊です。端的に申しますと、殺し、殺されることを褒めたたえなければ、戦争はできません。ですから徹底した戦争の正当化が、政策の要となります。それに疑問を持つ者が「非国民」とされるのはそのためです。ここでは「非常事態」の名分のもとで基本的人権が制限されるのは当然だとされるでしょう。(「〈生活の政治〉の確立をめざして」より)
【目次】
はじめに 学問と人生のはざまで
第一部 政治の学を問う 六〇代の論文より
一 転換期の歴史的位相について
はじめに/1 マクロ政治学と時代認識/2 ソ連・東欧圏崩壊の位置/
3 転換期の歴史性/4 人類史的転換の時代/おわりに
二 「知の冒険」をめぐる理念と現実 小畑清剛『レトリックの相剋』によせて
はじめに/1 危機の時代における思考原理の相剋について/
2 丸山─福沢と清水─ヴィーコにおける「レトリックの相剋」をめぐって/
3 レトリック論における「強制」と「合意」をめぐって/
4 「知の冒険」の今日的課題について/おわりに
三 人類史的危機を孕む時代の政治学
はじめに/1 人類史的危機を孕む時代/2 原理論的レベルでの対応/
3 デモクラシー論における対応/4 環境政治学における対応/
5 地球環境危機の前途/おわりに
第二部 人の世を見つめる 七〇〜八〇代のエッセイより
一 旅に立ちて
1 地球一周の船旅から/2 悠久の大河を下る/3 アンコール遺跡群を訪ねて/
4 玄奘三蔵の偉業をしのぶ/5 七〇代最後の春 阿蘇・信州・広島そして韓国/
6 ルーマニア、ブルガリアへの旅から/7 バルト海クルーズ紀行
二 読書を愉しむ
1 最近の読書から/2 気になった二冊の本 吉本隆明『宮沢賢治』と島尾敏雄『死の棘』をめぐって/
3 人間ドキュメントを追って 最近の濫読の中から/4 太宰治の『グッド・バイ』をめぐって/
5 『雪国』を再再読して/6 藤沢周平を偲んで/7 私の読書人生/
8 山本周五郎『栄花物語』を読む/9 東野利夫『汚名─「九大生体解剖事件」の真相』について/
10 古きをたずね新しきに学ぶ 八八回目を迎える読書会
三 現実政治を問う
1 新世紀の光と影を思う テロと報復戦争の行方/
2 「生活の政治」の確立を目指して 二一世紀世代への伝言
あとがき
【著者紹介】徳本正彦(とくもと・まさひこ)
1931年,埼玉県浦和市生まれ,幼時に福岡県小倉市(現北九州市)に移住。1953年,九州大学法学部(政治専攻)卒業,同学部助手。1957年,九州大学教養部講師,63年,同助教授。1965年,米国ハーバード大学留学(1年間)。1973年,九州大学教養部教授。1984年,九州大学法学部教授。1992年,九州大学退職,同年,姫路獨協大学法学部教授。2001年,姫路獨協大学退職。九州大学名誉教授,姫路獨協大学名誉教授,法学博士
●主要著書:『政治と人間と民主主義』(法律文化社,1977年),『政治学原理序説』(九州大学出版会,1987年),『北九州市成立過程の研究』(九州大学出版会,1991年)