図書出版

花乱社

『山頭火のあっかんべー』吉田正孝著

■本体1700円+税/四六判/280ページ/並製
■ISBN978-4-910038-65-0 C0095
■2022.10刊
■紹介されました:「西日本新聞」2022.11.7、「毎日新聞」夕刊コラム11.8、「毎日新聞」11.30
■著書:『山頭火の放浪・山頭火への旅』

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一夜、夢枕に山頭火が立った。
盛んに手招きする。追いつこうと必死で歩くのだが、
いつまでたっても追いつけない。
こちらの息使いが荒くなる。山頭火が言う。
「ここまでおいで」

【生誕140年、山頭火行脚の記録】




 

本文より

■第二部「山頭火のあっかんべー」「混迷化する山頭火像」より

 一年前の宗像神湊隣船寺所蔵の葉書類に続き、今回は近木圭之介ご遺族宅の山頭火の書簡を撮影し、日記や行動などと関連づけてみた。こういう作業を通して言えるのは、ますます種田山頭火という存在が巨大化し、濃くなってくるということだ。これまでは関係本でしか「読む」ことができなかった書簡を、「見」て「触れる」ことができたのだ。この体験は大きい。
 葉書に押された消印(八十〜九十年経っているが意外に鮮明なものが多い)、貼られた切手、オモテの宛名書き、書いた当時の住所(旅に出ておれば各地の地名が書かれている)、ウラは山頭火独特のくずし字や句など。
 確かに、関係本だけでいろいろ調べている時以上に充実した瞬間と言えるだろう。間接的と直接的との決定的な違いもあるだろう。そのようにして山頭火に近づいていくにつれ、実は不思議な瞬間に襲われることが多いのだ。数年前より昨年、昨年より今年と確実に山頭火についての知識が深まっているはずなのに、ますます解らなくなってくるのである。
 山頭火が手ずから書いた葉書類をまじまじと眺めていると、これはいったいどういうことなのか、生涯においてどのような意味があるのかという疑問が湧いてくる。
 人間誰しも多面的な方向性を持っているのだから、そうたやすくその人の一生は解るはずはない、というのは一面の真理だろう。だが、果たしてその瞬間で納得し立ち止まっていいものか。
 幸か不幸か私は「放浪の俳人」が差し招く迷宮に入り込んでしまったのだろう。あと三十年ほどはもがき苦しむのかもしれない(三桁も生きるのかと叱られそうだが)。
 一夜、夢枕に山頭火が立った。盛んに手招きする。追いつこうと必死で歩くのだが、いつまでたっても追いつけない。こちらの息使いが荒くなる。山頭火が言う。
 「ここまでおいで」
 「追いつけるものなら追いついてみい」
 「あっかんべー」


目次より

はじめに 種田山頭火の一生のご紹介

第一部 神湊隣船寺所蔵の山頭火関連葉書のことなど
 衝撃の新聞記事/神湊の隣船禅寺と山頭火/この年第一回目の隣船寺訪問
 第二回目の訪問/お寺に残る写真/葉書A〜Eについて/三度目のお寺訪問
 封筒に入った封書/宗俊和尚の一枚の写真/宗俊和尚宛ての葉書類/四度目のお寺訪問と成果、課題

第二部 山頭火のあっかんべー
 山頭火の後ろ姿/山頭火の書簡を整理する

第三部 神出鬼没山頭火
 宗像承福寺のこと/市電停止事件の際の連行者とは 

第四部 山頭火が篠栗を歩く

おわりに


 

【著者紹介】吉田正孝(よしだ・まさたか)

1950年,福岡県糟屋郡仲原村(現粕屋町)に生まれる。1974年,大学卒業後,2014年に至るまで国語科の教員として福岡県内の七つの県立高校で勤務した。若い頃より山頭火への興味を抱くが,還暦前後から山頭火シンドロームに取り憑かれ現在に至る。また,おやじバンド「ザ・ベアーズ」(ほとんど知られていない)の一員として,高齢者施設訪問や近郊のイベントでの活動を行っている。現在も粕屋町在住。
著書に『山頭火の放浪・山頭火への旅』(花乱社,2019年,電子版あり)。