図書出版

花乱社

 書評『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』

●「西日本新聞」2017.4.39 

 江戸後期に来日したドイツ人医師、シーボルトは、日本の社会や産業、習俗などの資料を精力的に集めた。それをもとに帰国後、20年がかりで「未知の国・日本」の姿を紹介する『NIPPON』を刊行した。西南学院大教授の著者は、九州大助教授だった2002年、九大医学部の図書館で同書の初版本を確認した。九大の本は図版367枚のうち4枚がかけただけの、非常に状態の良い1冊であることが分かった。
 著者はさらに、国内外の大学などの蔵書と九大本を比較研究。その成果を豊富なカラー図版とともに本書にまとめた。図版は「面をかぶった踊り手」。シーボルトは「越後獅子・角兵衛獅子」と原画にメモしているが、著者は嵯峨や長崎の面浮流(ふりゅう)だと見ている。 200年近く前の日本の姿が描かれた図版の数々を眺めるだけでも楽しい。


●『出版ニュース』2017.05

 昨年は江戸時代、出島商館の医師として来日したシーボルト没後150年。各地の博物館や美術館でシーボルトに関する展示会が催された。
 こうしたなかで刊行された宮崎克則著『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』はシーボルト研究の基本文献となる一冊である。
 シーボルトは1830年、帰国にあたり国禁の日本地図を持ち出そうとして国外追放(シーボルト事件)にあう。オランダに帰り2年後の1832年に『NIPPON』の刊行を始めた。1832年から35年の間に、代表作である『NIPPON』『日本植物誌』『日本動物誌』の第1分冊を刊行した。いずれも自費出版であった。
 『NIPPON』は本文(第1〜7章)と図版からなり、1832年から約20年にわたり分冊で刊行された。ドイツ生まれのシーボルトはまずドイツ語版を出し、次いでオランダ語版(第1分冊のみ)、フランス語版、ロシア語版と続けた。
 『NIPPON』は1800年代の日本の風景・風習・人物・産業・技術・文化・地図など膨大な情報を収め、「未知の国日本」を鮮明に描き出した未完の大著であった。図版367枚は最新の技術をもっって製作された。
 また分冊で刊行されたことから購入者はそれぞれ表紙をつけて製本した。全体の目次も通しのページ番号もなかったため、製本の過程でさまざまな異動がおおり、現存する初版には同じものは無いといわれる。
 本書は、『NIPPON』の第1〜7章はどのような順番で出たのか、本文と図版はどのように組み合わされたのか、図版は何を原画としどのように作成されたのか、彩色の仕方はどうなっているのか、フランス語版とロシア語版の内容はどうなっているのか、シーボルトはいかに関わったのかなど解き明かしていく。
 著者は、これらの課題を解決するため、オランダをはじめドイツ、イギリス、ロシアなどに分散したシーボルトコレクションの調査はもとより、国内外の機関が所蔵する『NIPPON』を比較検討し、その製作、印刷、出版過程を明らかにする。
 内容は、第1章「九大本『NIPPON』の書肆情報」以下、『NIPPON』の色つき図版、『NIPPON』の原画・下絵・図版、『NIPPON』のフランス語版、『NIPPON』のロシア語版、『NIPPON』の山々と谷文晁『名山図譜』、『NIPPON』の捕鯨図の7章と2つの資料からなる。資料は「九大本『NIPPON』の「INHALT」(内容)」、「九大本『NIPPON』図版の透かし・石板画工名など」。図版は305点。
 『NIPPON』の副題は「日本およびその近隣諸国と保護国、すなわち南千島列島を含む蝦夷・樺太・朝鮮・琉球諸島に関する記録集」。ペリーはこの「記録集」を購入して日本へ遠征してきた。