図書出版

花乱社

 書評『葉山嘉樹と鶴田知也:錦陵人物誌』

『科学的社会主義』第339号、2026年7月

 「錦陵」とは福岡県の旧制豊津中(戦後豊津高校)である。この学校は「人物史」が書けるほどの人材を輩出した。タイトルの葉山嘉樹、鶴田知也の先輩に堺利彦がいた。本書は三人を軸に万華鏡のごとく豊津内外の人々との交遊関係を映し出す。
 堺、葉山鶴田をはじめ、鶴田の弟にあたる福田新生(画家ー『労農』、『文芸戦線』から旧『社会主義』に至るまで労農派系統の雑誌に表紙や挿絵を寄せていた)、高橋信夫(音楽家)など、今ではあまり聞かれない人々も登場するのは、本書ならであろう。
 向坂逸郎は福田新生からの書簡を援用して民族文化論を論じていた。新生にはかねがね照明が当てられていい人物だと思っていたのでうれしい。
「錦陵」のあるみやこ町の有志が三人の偉業を顕彰しようと、堺利彦顕彰会を起点に「三人の会」に発展し七〇年にわたりさまざまな事業と研究、資料収集に務めてこられた。小正路さんは会の事務局長である。
 限られた一地域でこれだけの人物を輩出し、顕彰しようとする人びとがあるのは、秋田県土崎(『種蒔く人』発祥の地)くらいではなかろうか。その全貌がうかがえる書だ。
 どれも短文ながら堅実な資料考証にもとづき、私など初めて知ることも多い。
 堺利彦が一九三一年に脳溢血で路上で倒れた際、鶴田知也と豊津の青年が戸板にのせて堺宅まで運んだという話は知っていたが、なぜ青年がその場に居合わせたのか不思議だった。一九三一年に豊津で堺利彦農民労働学校が開講されたさい、堺が豊津中を訪問し生徒から歓迎された。その生徒に三人の青年がいて、彼らはいわゆる「社研」運動に挺身し退学。上京して鶴田にともなわれて堺宅で馳走になろうとしていたそうである。
 労農派に共鳴する文学関係者は大勢いた。かれらは共産党系の政治主義的なプロレタリア文学に皮膚感覚的にもなじめず集団をなしていた。葉山、鶴田、金子洋文、本書でもたびたび登場する伊藤永之介などである。文学畑らしく離合集散も激しかったようで、共産党系のナップと対抗した『文戦派』も一時分裂した。戦後も『明日』『文戦』『社会主義文学』と結構盛んだった。鶴田や福岡の田原春次(小正路さんは彼についても一書ものしている)を通じてこうした流れの一面がうか
がえ、また戦後の経緯についても勉強になった。私のように文学に縁のないものでも面白く読める本である。
 【石河康国/いしこ・やすくに】


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西日本新聞」読書欄「本と人」 2026年4月11日

旧制豊津中が生んだ作家追う

 福岡県みやこ町にあった旧制豊津中学校(現育徳館高校・中学校)出身の2人のプロレタリア作家、葉山嘉樹と鶴田知也の生涯と思想を追った労作である。
 自身も豊津中の後継の豊津高の卒業で、教職人生の終盤に育徳館高中の校長も務めた。そうした縁から10年前、豊津中出身で「日本社会主義の父」と呼ばれた堺利彦を描いた本の編集と執筆を担当している。「ようやくこれで堺、葉山、鶴田と、豊津中が生んだ著名なリベラル派3人の足跡を書き残せました」
 葉山は1920〜30年代のプロレタリア文芸誌「文芸戦線」で活躍した作家。獄中で執筆した「淫売婦」で人気を博し、後輩の鶴田を文学へ導いた。鶴田は戦前前の思想弾圧でプロレタリア文学が下火になった後、アイヌ民族の悲劇を叙事詩風に描いた「コシャマイン記」を著し、九州出身者初の芥川賞作家となった。
 「3人に共通するのが国家権力への反骨心。その源は幕末の豊津藩にさかのぼります」と説く。「3人は1866年の第2次長州征討で小倉城から落ち延びた豊津藩士の子孫です。明治政府の中枢を占めた長州勢への対抗心を秘めており、それが豊津中特有の学校文化にもなりました」
 この著書で特筆すべきは鶴田の埋もれた随筆の発掘だろう。鶴田は疎開先の秋田で農民運動に軸足を移し戦後は文壇中央から退いた。随筆を発見したのは1992年。「今は解体された母校九州大の図書館で、底冷えのする地下書庫にこもり農業専門誌をしらみつぶしに当たりました。見つけた時は歓喜しましたね」
 教職との二足のわらじで3人の調査・研究に30年余り没頭してきた。原点は豊津高2年の時の体験だ。テレビ番組で母校を訪ねた鶴田へ質問の機会を得た。「77歳だった鶴田のきっぱりとした返答を今も覚えています。リベラル勢力が衰退する今こそ、葉山と鶴田の作品を読んでほしい」
「錦陵」の愛称を持つ旧制豊津中が輩出した多彩な人物も紹介し、京築の貴重な地域史にもなっている。福岡県人権研究所理事長。
 【鶴丸哲雄】

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「毎日新聞」地域 2026年2月20日

 小正路さん(育徳館高元校長)刊行
 旧制豊津中 卒業生の足跡掘り起こす

  旧制豊津中(みやこ待ち、現県立育徳館高)出身のプロレタリア作家、葉山嘉樹(1894-1945)ら、各界で活躍した同校卒業生の足跡を掘り起こした「葉山嘉樹と鶴田知也:錦陵人物誌」が刊行された。

 著者は元育徳館高校長で郷土史家の小正路淑泰さん。旧制豊津中は、幕末の長州との戦いで敗色濃厚となり、藩庁を現在のみやこ町豊津に移した旧小倉藩が開学した藩校育徳館の流れをくむ。タイトルにある「錦陵」は、同窓会の名称にも使われている豊津の旧称「錦原」に由来する。
 小正路さん は「維新後に苦難の再出発を余儀なくされた藩にとって、育徳館は再建のための心のよりどころだった」と強調。旧制中に受け継がれた教育と学校文化,精神的風土醸成の背景を,主に輩出した人物を通して解明したという。
 第1部は、反権威を貫いた葉山と対照的に官財学界で枢要な地位に就いた同級生を紹介。兵庫県知事や内務次官を歴任した坂千秋、 住友石炭鉱業社長の福永年久、九州帝大農学部教授の伊藤兆司らを取り上げた。
 第4部は「錦陵人物誌」。忘れられつつある卒業生に光をあてた。 終戦後に感染症が広がる旧満州で献身的な医療活動を続けた満州医科大学長の守中清、1934年に日本統治下だった南樺太で、日本人で初めて草食恐竜の全身骨格化石を発掘した長尾巧らが登場する。
  【松本昌樹】