図書出版

花乱社

 書評『清正公の南蛮服:大航海時代に渡来した一枚のシャツの物語』

●「日本経済新聞」2019.2.20  
南蛮服に見る清正の知性
熊本の菩提寺に伝わるシャツから勇将の実像に迫る本

 戦国の勇将 、加藤清正が身につけていた南蛮服と出合ったのは、30年以上昔のことになる。
 福岡を中心に活動するフリー編集者の私は、企画の下調べで熊本市の本妙寺に足を運んだ。清正の菩提寺である、その宝物館に展示されていた。
 トルソー(胴体だけの像)が着たシャツの生地は渋いグレーに見え、黒か紺の細かい縦縞が入っている。ウエストで切り替え、裾広がりのデザイン。前立てと袖口にくるみボタンがついており、実におしゃれだ。

瀟洒なSサイズに疑問
 ためつすがめつしているうちに、疑問が湧いてきた。清正といえば「虎退治」で知られる猛者。時代劇でも荒くれ者として描かれるのが常だ。その清正がこんな瀟洒な服を身につけていたのか。しかも、今ならSサイズである。
 そんな疑問から探究が始まった。まずは本妙寺に服をよく見せてほしいと願い出た。メジャーを持って出かけた。座卓の上に広げた南蛮服と対面する。が、現物の実検は服飾の知識があればこそで、素人の私には猫に小判。本妙寺さんには誠に申し訳なかった。すべらかな生地の感触を心に刻み、自分がよく調べて価値を世に発信しようと思い決めた。
 この南蛮服が知られるようになったのは昭和初期。「朝鮮で縫った御肌着」と伝わってきたが、実は南蛮渡来だと服飾史や風俗史の研究者が明らかにしている。16世紀後半にスペインで刊行された裁縫技術書の型紙を使って縫製された。

現代のプロも感動
 では、私は研究者とは違う視点からアプローチしようと考えた。まず仕立て屋さんに写真や採寸図を見てもらう。福岡市のベテラン職人に相談すると「日本にボタンが入ってきたのは江戸時代。400年前のシャツなどあり得ない」との答え。2カ月後に連絡があって「復元した」という。
 「現物も見たが、現代では考えられないほど人間の体に忠実な仕立てで感動した」とおっしゃる。この復元シャツは現在、本妙寺が所蔵するが、オリジナルは現代のプロから見ても一級品なのである。清正はどんな経緯で手に入れたのだろう。
 仕えていた豊臣秀吉が九州を平定すると、清正は肥後国の 来た半分を拝領する。熊本の天草にスペイン船が来たのを機に南蛮貿易をもくろろむ。目をつけたのがスペイン領だったルソン(フィリピン)で、パートナーとなった貿易商の原田喜右衛門だった。書状からは、浅からぬ関係がうかがえる。
 南蛮服は1580年代後半から90年代に作られた。肥後国で2人が出会うのは80年代末。野心家の喜右衛門が新領主に接近するため、シャツを贈ったのではないか。清正は当時27歳。若き領主にふさわしい逸品だ。

作られた粗野イメージ
 これは仮説であり、別のシナリオもありうる。そんなあれこれを「清正公の南蛮服」にまとめた。ゆかりの土地を訪ね、文献を読み、郷土史家に取材した。
 私は地方在住の編集者として、企業の社史を数多く手がけた。時代の変化を読み、志と夢を抱いて事業に取り組む経営者に常に触発されてきた。清正を現代の起業家に見立て、象徴として南蛮服を捉えてみたのである。
 粗野な武将というのは後世に作られたイメージだろう。南蛮服がSサイズなのを奇異に感じたのは、自分の先入観だったと思う。今は清正は小柄で、理知的なたたずまいだったと信じている。
 本妙寺の宝物館は休館していたが、5月に加藤清正公記念館としてリニューアルオープンする予定だ。地震で被害を受けた熊本の復興を誰よりも願っているのは清正公だろう。(いとう・なおえ=編集者)


●宗教文化誌「法華」2019年1月号
 これは、「清正公の南蛮服」と呼ばれているおよそ400年前にポルトガルで作られた一枚のシャツが語る加藤清正公の物語である。
 本妙寺宝物館での出会いから三十余年、この「南蛮服」に魅せられ清正公に関する多岐にわたる研究を追い続けた筆者の集大成である本書は「大柄で勇猛果敢な戦国武将」の清正ではなく、秀吉を支えながらも自国・肥後の疲弊した経済を立て直し、安定した大国にしようと、治水工事やルソン(現フィリピン) ・安南国(現ベトナム)との南蛮貿易など、あらゆる手立てを打ち出し実行していく「経営者・加藤清正」のリアルな姿を私たちに教えてくれる貴重な一冊である。(法華編集部)


●「西日本新聞」2019.1.19 「風向計」清正公さんの南蛮服 
 西日本新聞トップクリエ新聞制作事業本部長 岡田雄希

 福岡市東区でオーダーメードのシャツの製造販売している「筌口(うけぐち)シャツ」。直営店「幣(ぺい)」には、社長の筌口清美さんの職人技にほれ込んだロックギタリスト、エリック・クラプトンがオーターしたシャツとともに、もう1着、珍しいシャツのレプリカがある。戦国武将の加藤清正が着用した「南蛮服」だ。
 第一印象は、驚きだ。意外に小さく、モダンでおしゃれなのだ。清正といえば、歴史小説などの影響で、ひげ面の偉丈夫といったイメージがあった。だが、古文書の記録などに基づきデザインから生地まで忠実に再現した筌口社長によれば、「身長は150センチから160センチぐらいで背は高くないが、筋肉質の均整のとれた体だったはず」という。
 この南蛮服に触発されて1冊の本を出版した人がいる。福岡市のライター伊藤なお枝さんだ。長年の研究成果を「清正公の南蛮服 大航海時代に渡来した一枚のシャツの物語」(花乱社)という書籍にまとめ上げた。
 伊藤さんが目の当たりにしたのは、清正公の菩提寺、本妙寺(熊本市西区花園)に遺品として保存されている現物で約30年前のことだという。
 「初めて見た時、戦国武将とドレスシャツ風の南蛮服の取り合わせに違和感を覚えた。そこで、シャツのことを調べていくうちに、歴史という深い森から抜けられなくなった」と執筆動機を語る。
 16世紀末にポルトガルで作られ、清正に献上された南蛮服を“狂言回し”に、当時の国際情勢をはじめ、大航海時代が日本にもたらした鉄砲やキリスト教などを巡る歴史絵巻を緻密に解説している。
 何より、主人公である清正の素顔が興味深い。数字に強く現代なら優秀な経営者だったというのだ。海外貿易にも意欲的で進取の気概に富んでいたことも分かった。
 経験豊富なライターが「自分でも理由がよく分からないまま」こだわり続けたテーマを、じっくりと掘り下げた労作。研究書だが、上質なミステリーのようでもある。
 熊本地震で休館中の本妙寺加藤清正公記念館が今年、リニューアルの予定で、同館が所蔵する「清正公の南蛮服」の価値を世に発信することで熊本復興へのエールにしたかったと、伊藤さんは話す。
 伊藤さんにせよ、筌口さんにせよ、1着のシャツが400年の時を経て、ここまで人を魅了するとは。きっと清正公(せいしょこ)さんの遺徳に違いない。

[おかだゆうき 北九州市出身、日本大芸術学部卒。筑豊総局、久留米総局、日田支局、スポーツ本部などを経て、2017年から現職。 ]