図書出版

花乱社

 書評『鯨取りの社会史:シーボルトや江戸の学者たちが見た日本捕鯨』

●「読売新聞」2016.7.31 評:奈良岡聰智氏

 近世日本の捕鯨は、巨富を生み出す一大産業であると同時に、多分に文化や学術と結びついた営みでもあった。本書は、こうした日本的な捕鯨のあり方を、江戸時代に描かれた鯨絵巻の分析を通して明らかにした研究書である。
 油の採取を目的とした欧米の捕鯨と異なり、日本では鯨の全部位を無駄なく活用していた。住民総出で行われた解体・加工の様子が、多くの図版とともに具体的に示されており、圧巻である。捕鯨研究の到達点を示した儒学者大槻清準著『鯨史稿』の成立過程も興味深い。西洋科学から影響を受け、かの『解体新書』と同じ手法で鯨体を解説しているというから、驚きである。
 国際司法裁判所から調査捕鯨を停止すべきという判断を下されるなど、近年日本の捕鯨をとりまく状況は厳しさを増している。その行く末を見定めるためにも、日本人の過去の営為を振り返りたい。



●「西日本新聞」2016.6.26 評:文筆家 浦辺登氏

 表題脇の「シーボルトや江戸の学者たちが見た日本捕鯨」の文字に惹かれた。古今東西の学者たちは、捕鯨を〈どのように〉見ていたのだろうか。
 本書の特徴は、『勇魚取絵詞』などの絵巻をもとに捕鯨が解説されているところにある。口絵絵図からは、地域が一体となって捕鯨を支えていたことが窺える。皮を剥ぎ、肉を切り分け、油を搾り、骨を砕く。住民総出の鯨の解体作業は圧巻で「鯨一頭七浦潤す」の言葉通り、捕鯨は日本人にとっての一大産業だった。
 特に、口絵図「納屋場」は、江戸時代の西海捕鯨を具体的に知る上での重要な1枚。これは『小児の弄鯨一件の巻』に納められているが、捕鯨を見物した剣術指南・木崎攸軒(ゆうけん)の情熱から誕生した。後世に捕鯨の事実を伝えたいという思いからだった。
 第四章では文人としても著名な平戸藩主の松浦静山、父子が〈なぜ〉当代一流の捕鯨絵巻を遺しえたかについて述べられる。藩の潤沢な収益源は捕鯨だが、藩主の出版意欲と捕鯨業者との権益が結びついた結果だった。絵巻から説かれる裏事情に感嘆の声をあげた。
 第五章からは儒学者大槻清準が著した『鯨史稿』成立について。この絵巻は日本・中国の文書、蘭書を引用し、自身の見聞を加えたもので、鯨の名称、種類、骨格、内蔵など、歴史的、解剖学的知見も加えて構成された近世捕鯨の集大成となっている。
 大槻清準が捕鯨の調査に取り組んだのは、親族で蘭学者の大槻玄沢の意向を受けてだった。薬効成分の高い一角鯨の秘密を玄沢が知りたかったからだが、結果、清準が遺した絵巻は現代に伝わる貴重な記録となった。
 本書は文字の無い捕鯨絵巻を「読んだ」研究書である。背景を理解するため、著者がどれほどの関連資料を読み込んだか計り知れない。疑問や不明点は次から次にわき起こったことだろう。それを丹念に丁寧に解き明かした内容で、捕鯨絵巻を遺した先人たちも、わが意を得たりと、きっと、絶賛するに違いない。