書評『想い出の汀』
●「西日本新聞」2025.5.6
「ずっと中ぶらりんの生き方」 詩人・岡田哲也さん自伝的小説刊行
鹿児島県出水市から飛び出して過ごした青年期をたどった小説「想い出の汀」を刊行した。主人公はテツ。エンプラ闘争、東大紛争、三島由紀夫の割腹自殺…。1964〜70年の揺れ動く社会に放り込まれた若者の煩悶をつづった自伝的作品である。
鹿児島市のラ・サール高を経て、東京大に進学。ドロップアウトして東京を去るまでのことが描かれる。その時期に絞ったのは「そうやって生きたことの半分ぐらいが今の自分の中にあるから」という。
異父母あわせて14人きょうだいという家庭で育った。「家は出たかったけれど、人間は好き」。本書はさまざまな出会いを通じて世界が広がっていくビルドゥングスロマン(成長小説)の味わいもある。
〈人格と性癖と能力の坩堝だった〉男子高の寮生活。予備校時代を共にした友。〈とてもおれは敵わない〉小説の才能を持った大学の同級生リーチは、後の直木賞作家だ。そして恋も描かれる。当時は学生運動真っ盛り。「政治的セクトは嫌。でも大学の権威を守ろうとするのは良いのではと思っていた」。距離を取りつつも東大紛争に足を踏み入れ、挫折も経験する。
半世紀以上前のことを詳細に描き込めたのは、今も書き続けている日記の存在があったからだ。「でも『日記には 冷ややかな嘘を書くべきだ』と書いているし、東京を去る時には大幅に書き換えてもいるんです」。登場人物には全て実在のモデルがいるが、書かれていることが全て事実とは限らない。
タイトルの「汀」は時に大陸となり、時に海となる、あわいの存在である。「正義のために東大紛争をやっているつもりが、国賊とも言える。良いことと思っても、とんでもないことかもしれないんです」。しかし実際の世の中は、善悪、正邪の二元論がはびこり、グレーゾーンはしぼみゆく。あらがうように「ずっと中ぶらりんの生き方をやってきた」と振り返る。
かつて左に傾いた社会は今、右に傾いているのだろうか。世の中はたやすく反転するけれども、中ぶらりんであれば自身の立ち位置は変わらない。77歳の詩人の言葉が響くのはそんな態度ゆえかもしれない。(小川祥平)
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●「南日本新聞」2025.5.17「読書」
己と世情に向ける自刃
出水市を拠点に独自の創作活動を続ける詩人・岡田哲也の自叙伝である。帯文で「ラ・サール高をタテに出て 東大をヨコに出た」
と語るごとく、全国屈指の進学高校から最高学府へ進むも大学紛争の渦に翻弄され学窓と決別。あらゆるしがらみを断ち切り自立を目指す主人公テツの青春篇だ。
体育会系を自任し喜寿をまたいだ詩人が怒濤の日々を回顧しつつ、己と世情に容赦のない白刃を押し当て冷徹に腑分けしてみせる。
14人きょうだいの末弟。中学校卒業を機に、ただ独りの居場所を求めて鹿児島市の男子進学校へと向かった。ここであり余る精力をなだめつつ多彩な級友らと錬磨。晴れて東京大学の赤門をくぐるも、ほどなく大学紛争の激浪に巻き込まれた。
当初は各セクトのアジ演説に食傷気味ながら、いつしかクラス代議員に選ばれる。以来、無期限スト、大学封鎖、街頭デモ、火炎瓶作り、駅構内乱入と一通り活動にのめり込んだ。ある日、大学総長を取り囲み団交中の写真が全国紙に載る。家族の知るところとなり、すったもんだの末に勘当を言い渡された。
やむなく大学を去り、書店に勤める傍ら文芸評論家で作家の村上一郎が刊行する雑誌「無名鬼」を手伝う。村上の作品は三島由紀夫が高く評価しており、三島が臨んだ東大生との対話集会にテツも出ていた。
ある早朝、村上から電話が来る。いつも憂鬱そうな人がやけに陽気だ。むしろ躁状態といえるほどで、朗々と自作の短歌を読み上げる。「三島と対談した際に褒めてもらったよ」とまくしたてた。
昼前、三島が東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入、挙げ句に自決したとテレビが報じる。テツは今朝の村上の電話を反芻しながら、二人の気が通じ合っていたのかと奇妙な感覚にとらわれた。そして夜、50行ほどの詩を書き上げる。三島への追悼であり、自らを追討するような歌でもあった。5年後、村上も日本刀で壮絶な自死を遂げている。(久本勝紘・元南日本新聞社報道本部長)