図書出版

花乱社

 書評『北九州・京築・田川の城 戦国史を歩く』

●「日本経済新聞」九州・山口・沖縄版2016.10.29

 福岡県東部の旧豊前国を中心に点在した約40カ所の城の歴史や機能を、現地調査や古文書研究に基づいて紹介している。多数の城が建築された戦国時代に焦点を当て、北九州市域や京築・田川地域の歴史を語るうえで重要な城として、高塔山城(北九州市)などの小規模な城から小倉城(同)といった巨大な城までを取り上げた。
 小倉城については戦国大名の毛利氏が九州攻めをにらみ、海運関係者や商人らが住む都市として栄えていた小倉の港町を取り込む形で造ったと紹介。中世的な軍事施設ではなく、地域経済や政治などを担う近世的な城郭都市の機能も当初から備えていたことを指摘している。

 

●「毎日新聞」福岡版2016.8.30  北九州版8.24

半世紀かけた城郭研究、八幡西・中村さん集大成/北九州・京築・田川の戦国史を歩く/山中で新発見の遺構も紹介
 八幡西区の城郭研究者、中村修身(おさみ)さん(69)が、半世紀にわたる研究の集大成として執筆した「北九州・京築・田川の城 戦国史を歩く」(花乱社)を先月、出版した。県東部にある戦国時代の約40の城について、現地調査と古文書研究により歴史的意義を明らかにした。山中の道なき道を歩いて新発見した遺構も紹介しており、城の研究者のみならず登山愛好家からも注目されている。
 中村さんは別府大史学科卒業後、1971年に北九州市に入庁。長年、埋蔵文化財の調査などに携わり、現在は北部九州中近世城郭研究会の名誉会長を務める。大学時代に訪ねた大分県宇佐市の高森城で、堀や土塁の大きさに感動し城の魅力に取り付かれた。以来半世紀にわたり、ほぼ毎週末、各地の城を訪ね歩いた。その数は九州、中国地方で約1000に上る。
 本はA5判、172ページ。城が多数建築された戦国時代に焦点を当て、小倉城(小倉北区)や花尾城(八幡西区など)、香春岳城(香春町)など北九州、京築、田川地域の歴史を語る上で重要な城を選んだ。石垣や土塁、堀など城の遺構を測量して記した城の規格図「縄張り図」を掲載し、城の意義づけを古文書を調べて裏打ちした。
 中村さんが新発見した遺構も紹介しており、その一つが馬ケ岳城(行橋市など)にある。豊前支配の要となる重要な城で、豊臣秀吉も滞在。黒田官兵衛も一時期、本城としていた。中村さんは15年ほど前、馬ケ岳城の北部に、それまで知られていなかった土塁や横堀を発見。従来考えられていた大きさの約100倍の巨大な城だったことを指摘した。秀吉の力を誇示するため、その影響下にある武将が大増築したとみられる。中村さんは「当時の人々がどういう思いで城を造ったかに思いをはせ、戦国史を楽しむきっかけにしてほしい」と話す。

登山家も歓迎、楽しみ広がる
 出版については、登山愛好家も歓迎する。戦国時代は多くの城が山の上に築かれたが、ほとんどは江戸時代には廃城になった。日本山岳会北九州支部では、会員からの要望で、城跡のある山を登る機会も多い。企画担当の同支部会員、丹下洽(こう)さん(75)=門司区=は「中高年が好む地元の山には、昔、城があった場所が多い。歴史的な背景がわかると、より山が楽しめる」と話す。【高芝菜穂子】

 

●「西日本新聞」2016.8.14

 旧豊前国を中心に点在する40カ所近くの城の歴史や機能を紹介する。在地を守り、攻めるための軍事施設である「城」、政治経済の要であり領主の住まいともなる「館」−「城」の性格は一様ではない。筆者は膨大な文献や研究をひもとき、丹念に現地を巡り歩く。
 江戸時代、幕府の政策で「一国一城令」が施行されると、数多くの城が打ち壊された。図版や写真を交えて紹介する「城」の中にはほとんど痕跡が残っていないものもある。〈途中、道は無いに等しい。充分に注意して登城されたい〉。今や、往時の城館の代わりに鉄塔群がそびえる城跡もある。
 〈戦争施設であるのと明らかに異なり(略)地域経済と文化と政治を担う近世的な城郭都市の機能を備えつつあった〉と指摘する小倉城(北九州市小倉北区)では、築城に携わった人々や作業の様子をはじめ、謎多き武将高橋鑑種との関わりや、細川忠興時代の改築などをつづっている。
 著者は、1946年北九州市生まれで同市在住。現在、中津市城館調査指導員会会長、北部九州中近世城郭研究会名誉会長などを務めている。