図書出版

花乱社

 書評『頭山満・未完の昭和史:日中不戦の信念と日中和平工作』

「西日本新聞」2023年11月25日 
 偏見に歪められた歴史ただす

 本書が扱うのは玄洋社の創立メンバーである頭山満(1855〜1944)の中国との関わりである。日本に亡命した孫文を損得抜きで支援していた頭山は、孫文らと強い絆で結ばれており、日中戦争のさなか、日本が蒋介石政権と和平交渉を行うに際し、交渉役に頭山を起用するプランがたびたび出ていたことが、当時の政府要人の日記などからわかる。頭山自身も、玄洋社社員の萱野長知らを通じて民間からの戦争阻止を働きかけ続けた。

 残念なことに、こうした和平工作は軍部などの反対に遭って実現しなかったが、いずれにせよ、頭山が日中戦争に一貫して反対の立場を取り、和平工作に熱心だったことは、本書の詳細な記述からも明らかなことである。

 しかし、偏見を持つと、善い行いにも、うがった見方をしがちである。当時の多くの文献が頭山の「全面的和平論者」(緒方竹虎)ぶりを示すにもかかわらず、「国家や軍部による大陸進出の尖兵(せんぺい)(国史大辞典)というのが、頭山や玄洋社に対する評価は、中国への姿勢も含めたさまざまな判断材料から総合的になされるべきだが、肝心の判断材料が偏狭な国家主義者といった色眼鏡で見られてしまう原状では、正当な評価などできまい。

 したがって著者は、頭山の中国への姿勢が不当に扱われないように、頭山や玄洋社にまつわる誤解や偏見にいちいち言及せざるを得ない。それほどまでに頭山や玄洋社、ひいては日本のアジア主義は、戦後の日本社会で不当な評価を受け続けたのであり、「未完の昭和史」と名付けたのは、もっともなことだと思う。そして、こうしたことは、たとえばウイルグやチベットなどの人々の境遇に声を上げる活動が、ともすれば排外的ナショナリズムの側に組み込まれやすいように、今日にも大きな影を落としているのではなかろうか。(評:麻生晴一郎 ルポライター)



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「アクセス第 562号」地方・小出版流通センター発行、2023年11月1日

 頭山満は、『広辞苑』に搭載されるほどの歴史上の人物だが、今、その名を知る人はどれほどいるだろうか。この辞書には、右翼の巨頭、萩の乱に連座して入獄し、出獄後は自由民権運動に従い玄洋社を創設、国権の伸張、大陸進出を唱えた政界の黒幕とある。だが、生涯在野の無位無官を貫き、時に政府と対立して、国を追われた孫文やインド民族運動の指導者ラス・ビハリ・ボースに救いの手を差し伸べたこと、何より日中和平工作に邁進したことは記されていない。

 著者は前著『玄洋社・封印された実像』(海鳥社 2010)で、綿密な史料批判に基づいて、玄洋者は秘密結社でも大陸侵略戦争の先兵でもなかったとの論陣を張った。同様に本書では、頭山にまとわりつく、超国家主義者、侵略主義者の烙印も、戦後歴史学のうわべだけの判断であり、誤解され、おとしめられて正当な歴史評価を受けていないと主張する。

 共に近衛文麿首相と連絡を取りながら中国との接触を図った元法相小川平吉の日記、日中戦争のさ中に玄洋社が発行した日中親善を訴える冊子、頭山の死後に中国各地で催された頭山追悼会の様子を報じた現地新聞などを傍証し、頭山の日中和平にかける思いを浮き上がらせる。戦後の研究書は頭山のアジア主義を侵略の側面でしかみていないと厳しく批判し、昭和史は未完のジグソーパズルであり、頭山のピースが埋まらないと、昭和史というパズルは完成しないと述べる。(飯澤)