図書出版

花乱社

 書評『神官・書家・漢学者 吉原古城の探究』


●「読売新聞」京築版 2018.11.24
 書家・吉原古城知って  遺墨80点や漢詩収録

 みやこ町出身で漢学者、書道家のほか神主も務めた吉原古城(1865〜1932年)の足跡や作品などを紹介する本が出版された。タイトルは「神官・書家・漢学者 吉原古城の探究」。著者の木村尚典さん(78)(行橋市)は「古城先生の書はどれも魅力的で格調高い作品ばかり。本を読んで関心を持ってほしい」としている。
 吉原古城は地元の神社で代々宮司を務める神職の家に生まれ、大分・日田の咸宜園や東京の慶応義塾で学んだ。東京で教師をしながら書道家、漢学者として活動し、全国を回って講演や書の揮毫などを行った。晩年は郷里に戻り、宮司を継いだ。氏子のために書を書くことも多く、地元で書の名手として慕われていたという。
 木村さんが古城に関心を持ったのは1989年、みやこ町の 城井郵便局に勤務したのがきっかけ。城井地区は古城の地元で、木村さんのみやこ町の実家にも古城の書が残っていたことから、独自に調べ始めた。地域の古老に話を聞き、地元に残る遺墨を探してカメラで撮影して回った。子孫に会って資料も集めたという。
 本には約30年間収集してきた古城の遺墨約80点をはじめ、著作「和魂漢才」の文筆や自作の漢詩などを収録した。遺墨や漢詩などにはすべて読み下し文をつけて分かりやすくした。また、初公開となる米粒よりも小さい極細字で書かれた書や、古城の名前が載っている大正時代の書道家の名鑑なども掲載した。
 古城の書風や人柄にひかれて本をまとめたという木村さんは「地元の人たちに愛され、尊敬を集めていた古城先生の足跡を知ってほしい」と話している。【高松秀明】

 * *

●「西日本新聞」京築版 2018.11.7
 みやこ町の書家吉原古城の本を出版 行橋市の元郵便局長 木村尚典さん 研究30年「京築の偉人知って」

 みやこ町犀川内垣出身の書家で漢学者の吉原古城(1865〜1932)の作品などを集めた資料集「神官・書家・漢学者 吉原古城の探究」を元郵便局長、木村尚典さん(78)=行橋市西宮市4丁目=が自費出版した。30年間資料を収集し、一時は病に倒れたが、研究を続けた「郷土の偉人」に光を当てた集大成だ。
 吉原は、江戸期の私塾・咸宜園(大分県)で学び、慶応義塾に進んだ。その後、高等師範などの教師をしながら、漢学者、書家としての実績を積み、大正天皇も読んだといわれる『和魂漢才』を著した。晩年は、地元で漢詩文の書を残しながら、実家の神職を務めた。
 木村さんは、1989年4月、城井郵便局(同町犀川木井馬場)局長時代に吉原と出会った。吉原家の墓守をしていた女性から吉原のことを聞いたことがきっかけだった。書の師範の資格を持つ木村さんはすぐに作品の魅力にひかれ、同町や行橋市に加え、吉原が一時活動の拠点にした宇佐神宮(大分県)などを中心に資料収集を始めた。
 しかし、55歳のとき自宅で脳梗塞を発症。今も右手に障害が残るが「吉原の研究は続ける」と意欲を燃やした。リハビリ後も資料収集や漢詩文の解読者を探すなど活動を積み上げた。
 出版した本では、吉原の漢詩文の作品80点に加え、漢詩文の現代訳もすべてに添えた。中でも、木村さんが吉原家の子孫宅で見つけた極細字の作品は約1ミリの文字が4行にわたって書かれ、解読すると神道の唱えの一部であることが判明した。大正期の文人名鑑には吉原の名前が記され、名の知れた書家だったこともうかがえる。
 吉原は今では地元有志が生家屋敷跡に古城の書を刻んだ碑を建てるなど顕彰されているが、木村さんは「業績が語られることは少ない」と語る。その理由を「吉原には子どもがいなかったことがるのでは」と分析する。「京築地方に著名な書家がいたことを後世に残したい」と語る。【佐伯浩之】

 * *

●「毎日新聞」京築版 2018.11.3
「書優しさの中に力強さ」行橋の木村さん「吉原古城の探究」を出版

 行橋市西宮市の木村尚典さん(78)が1日、編著「神官・書家・漢学者 吉原古城の探究」(B5判、166ページ)を自費出版した。みやこ町犀川内垣出身の吉原古城(1865〜1932年)の書や漢詩、系譜など30年かけて足跡を巡った。
 古城は、日田の私塾・咸宜園(かんぎえん)や慶応義塾で学び、東京江東師範学校などで和漢文教師、書道教師を務めた。1924年に漢詩文集「和魂漢才」を発刊。大正天皇が鑑賞されたといわれる。また韓国や中国に渡り漢学、書を研究し、晩年は郷里の宮司職を継いだ。
 木村さんは吉原古城を偲ぶ会顧問。今回、古城の書80点に読み下し文をつけた。初公開したのが東京の吉原家で保管されていた極細字で書いた祝詞。1編(長さ約10センチ)に約1ミリ大で108文字の祝詞が3編書かれている。木村さんは「古城の書は優しさの中に力強さがある。素晴らしい人がいたことを知ってもらいたい」と話した。【川上敏文】

 * *

●「朝日新聞」京築版 2018.11.2
 書道家吉原 探究の一冊 /80点掲載・全作品に読み下し文

 行橋市西宮市4丁目の木村尚典さん(78)
の編著による「神官・書家・漢学者 吉原古城の探究」(花乱社刊)が1日付で自費出版された。みやこ町出身の漢学者で書道家の古城(1865-1932)を作品や家譜、写真などで詳しく紹介している。
 木村さんは「吉原古城を偲ぶ会」の顧問。転勤で1989年に町内の城井郵便局に局長として着任後、郷土が生んだ古城への研究を始めた。調べるほどに、作品のすばらしさ、古城の偉大さを知り、その驚きが木村さんを突き動かしたという。
 掲載した作品は80点。みやこ町を中心に行橋市や築上町、大分県宇佐市周辺の人などから借りたり、写真に収めたりした。14年前にまとめた私家版「『吉原古城』先生を偲ぶ」に載せた作品60点に20点を加え、読み下し文をすべての作品に添え、読みやすくしたのが特徴となっている。
 さらに古城による極細字の作品も紹介。極細字は弘法大師が中国から導入した書文化の一つ。東京の吉原家から借りた作品は3編の祝詞が書かれ、うち1編は10センチほどの1行に108字がつづられ、1字が1ミリほどの小ささ。古城の極細字としては初公開だという。 古城は大分の私塾咸宜園や慶応義塾で学んだ後教職に就いた。著書「和魂漢才」は大正天皇が目を通したという。一方で権大教正という高い位の神職となり、晩年は郷里に戻って地元神社で宮司を務めた。
 木村さんはみやこ町犀川伊良原の生まれ。実家の座敷のふすまには書が書かれ、その作者が古城だった。木村さんが結婚する際には 母親から一幅の掛け軸が手渡されたという。古城は頼まれると筆を走らせ、多くの書を郷里に残してもいた。 書道で師範の資格を持つ木村さんは「古城さんは活躍したにもかかわらず、あまり知られておらず、見直してほしい」と出版の狙いを説明。埋もれた古城の新たな作品が現れるきっかけの期待も込めている。 B5判、168ページ、300部を印刷。表紙は同町犀川の内垣の屋敷跡に2001年に整備された吉原古城公園の写真が飾る。【久恒勇造】