図書出版

花乱社

『豊後国下岐部村 庄屋億太郎日記 上』森 猛 著(解読)

■本体3500円+税/A4判変型(220×297ミリ)/202頁/並製
■ISBN978-4-905327-45-5 C3021
■監修:前田義隆
■紹介されました。「西日本文化」2015.4号

ご注文方法はこちらへ。

大分県国東半島の北部、周防灘に面した下岐部村(しもきべむら)。
幕府領・日田代官所(郡代役所)、四日市出張陣屋直轄の庄屋・有永億太郎が書き残した文化7年(1809)の日記を解読。
伊能忠敬の測量隊一行を受け入れる村の混乱ぶり、日々の村政─年貢徴収・貯穀見分、宗門改め、博打・賭御法度、人相書きなどの下達、隣村の殺人事件や詐欺商法の取り調べ、屋敷の境界争いの仲裁、村民からの相談事から、家出ならぬ“寺出”した和尚の取りなしまで、めまぐるしい江戸期の庄屋の日常が浮かび上がる。
●影印・原文・読み下しと丁寧な注解付き
●これからの近世史研究の基礎となるべき貴重な資料
●上巻:元日〜6月

 

■本文見本:上から釈文篇、訓文篇、注解篇


































■本文より
 十二日朝、伊能忠敬一行は、小雨で出立を見合わせていたところ、四つ頃に雨が止んだので、それから小倉城下船頭町を出立した。この日、四日市年番所は、二人の者を、小倉へ、測量方御触書と何方まで御廻浦なされているか、聞合わせのため出したところ、小倉の方はすでに引き取られたということであった。
 十四日、下岐部億太郎と堅来善助に、測量御役人御廻浦の儀につき、仰せ渡さるる御用があるので、この状が着き次第、早々に出勤するように、との差紙が到来した。億太郎は、堅来善助に、昨日より以ての外の大風邪にて打伏しており、深江氏を召連れて出勤してくれるように依頼した。〔略〕
 二十日、豊前国下毛郡小祝あたりまで御廻浦の旨の情報が入った。また、当正月二十五日頃、四日市あたりを御廻浦になる、との情報も入ってきた。さらに、測量方御役人上下十八人は、なるたけ同宿にという先触も入ってきた。
 億太郎は、もし下岐部に御止宿される時は、胎蔵寺に御宿致し候様仕りたい、左なくば、同宿できるような家は下岐部には無いと日記に記している。さらに、「床飾りの次第ならびに御取賄の趣書ほか御聞合わせ下されたき事、湯樽風呂などの儀、御本陣ばかり新規にて、余は大体にて相済ますべく候哉。湯殿雪隠何ケ所ほど用意致すべき哉。藁・菰ならでは外に蔀(しとみ)・天井ともにこれ無く、如何仕るべき哉」と心配していた。 (「豊後国国東郡下岐部村とその庄屋 解題に代えて」)




【著者紹介】森 猛(もり・たけし)

昭和20年、宮崎県南那珂郡(現串間市)に生まれる。日本史専攻。平成3年から、古文書古記録研究会講師。大分県別府市在住。
【主な編著書】
昭和58年『竹田市』上巻(共著)竹田市史刊行会
昭和62年『本耶馬渓町史』(共著)本耶馬渓町
平成3年『荻町史』古代・中世編(共著)荻町
平成4年『日本地名ルーツ辞典』(共著)創拓社
平成6年『萱嶋氏史料集』(共編)古文書古記録研究会
平成6年『萱嶋家文書(原寸大影印)』(共編)私家版 
平成7年『大分県の地名』(共著)平凡社
平成12年『萬弘寺所蔵冨来文書(原寸大影印)』(共編)古文書古記録研究会
平成14年『九州西瀬戸古代史論攷』海鳥社
平成16年『九州西瀬戸中世史論攷』海鳥社
平成19年『文久二年小原手永三井寺村切支丹宗門改旦那寺証據判帳』古文書古記録研究会
平成24年『九州西瀬戸郷村史料集1 豊後国国東郡 新涯村・下岐部村・小原手永 庄屋文書』海鳥社