『島原半島の信仰と歴史:一揆とその後の松平氏治世〈西南学院大学博物館研究叢書〉』
■野藤妙・内島美奈子編
■西南学院大学博物館発行
■本体1000円+税/B5判変型/80頁 /小口折並製本
■ISBN978-4-905327-75-2 C0070
■2017.6刊 ★品切れ
■西南学院大学博物館研究叢書→こちら
日本史上に刻まれる島原・天草一揆の舞台であり,1792年雲仙普賢の大噴火「島原大変」の大災害を蒙った地・島原半島。これまで注目されていなかった一揆後の松平氏の治世についても焦点をあて,前近代から明治期の口之津港の繁栄まで,島原半島の歴史を文書・絵図を中心とする史料で概観する。
九州のキリスト教シリーズX【2017年春季特別展図録/西南学院大学博物館・年2回刊】
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戦国時代,島原半島を領有していた有馬氏は,南蛮貿易を行った。そのなかで領主有馬晴信がキリスト教に改宗し,半島にキリスト教が広まる。しかし,禁教の世になると,有馬氏後に島原へ入封した松倉氏はキリスト教弾圧を行った。その弾圧や苛烈な年貢の取り立てなどに対して領民が蜂起し,その後の日本の政治体制に大きな影響を与えることになる,島原・天草一揆が勃発する。
一揆鎮圧後,江戸幕府は領民の大半がいなくなった島原半島へ様々な藩から移民を募り,統治者として高力氏,松平氏,戸田氏といった譜代大名を入封させる。領地の安寧に向けて政策を行った松平氏であったが,その治世には数々の苦難があった。特に,普賢岳の噴火は未曾有の事態であり,多くの人命が失われ藩の財政は困難を極めた。
幕末になると,異国船来航の増加により国内外が騒然とする。島原藩をとりまく情勢も変化し,「開国」,そして大政奉還を迎える。明治時代になると,島原は長崎県に併合され,口之津は海外に開かれた港として再び繁栄した。
本書では,主として前近代の島原を取り上げ,第1部では日本キリスト教史において重要な島原・天草一揆を,第2部では島原藩で最も長く続いた深溝松平氏を中心に,島原半島の信仰と歴史を概観する。
■もくじ
ご挨拶 西南学院大学博物館長 後藤新治/ 南島原市長 松本政博
T 島原半島とキリスト教
第1章 有馬氏の海外交流
【コラム】キリシタン墓碑の保存整備(糸島市教育委員会文化課主事 秋田雄也)
第2章 島原・天草一揆の顛末
U 島原藩深溝松平氏の治世
第1章 深溝松平氏について
第2章 島原藩の禁教政策
第3章 島原藩と災害─島原大変
【コラム】寛政4年島原大変とその後の復興(西南学院大学博物館学芸研究員 野藤 妙)
第4章 島原藩の終焉
【コラム】第一次・第二次長州征討と島原藩(下関市立歴史博物館学芸員 稲益あゆみ)
島原・キリスト教関係年表
論考
熊本藩軍功意識と創造された天草四郎像
(熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授 安高啓明)
島原・天草一揆後の復興と移住政策
(長崎県南島原市教育委員会文化財課文化財調査員 南浦利早)
日本キリスト教史における文化財の保護と活用─南島原市との連携事業をとおして
(西南学院大学博物館学芸員 内島美奈子,西南学院大学博物館学芸研究員 野藤 妙・山尾彩香)
出品目録