図書出版

花乱社

『修猷館投石事件:明治二十四年、中学校と軍隊の衝突』水崎雄文著

■本体1700円+税/A5判/160頁/並製
■ISBN978-4-905327-93-6 C0095
■書評:「朝日新聞」2019.4.24「西日本新聞」3.23「出版ニュース」2019年3月上旬号


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福岡藩の藩校を源流とし、創設(一八八五)時より全国でも稀な英語正則授業を行っていた修猷館。明治二十四(一八九一)年の春、一つの投石をめぐって、尋常中学修猷館と福岡歩兵第二十四連隊が衝突、中央政界をも巻き込んで、「立憲主義」と「天皇の軍隊」の相克とも言える問題へと発展した。かつて『修猷館二百年史』の編纂に携わった著者が、正史から“抹殺”されてきた投石事件の真相に迫る。


【目次】

 まえがき
第一部 中学校と軍隊の衝突:修猷館投石事件と「立憲主義違反」問題
 第一章 投石事件の記録と記憶
 第二章 中学校が軍隊の支配下に
 第三章 事件の展開と波紋
 第四章 黒田家と修猷学会の動向
 第五章 尾崎館長の学校復帰
 第六章 投石事件その後
 終章 大日本帝国憲法と投石事件
 資料
第二部 儒学から英学へ:原書教科書を正則英語で授業した明治の修猷館
 第一章 幕末福岡藩の対外政策
 第二章 廃藩置県と福岡の英語熱
 第三章 藤雲館は修猷館の前身か
 第四章 英語専修修猷館の興亡
 第五章 その後の修猷館
 修猷館略年表
 参考文献
 あとがき


【「第一部 中学校と軍隊の衝突」より抜粋】
 この憲法発布から二年一カ月後の三月二十四日、投石事件が発生したのである。一部の市民の間には修猷館生徒に対する批判的空気もあったようだが、新聞論調や投書では圧倒的に軍部批判が多かった。出征服を着用して学校を占拠して校門を閉鎖し、銃を携えて校内を徘徊した行為は、三権分立にもとるものであり、軍隊は多くの批判を浴びる結果となっている。
 事件後における安場県知事の館長、職員の処分に至っては、軍部の横暴を助長する以外の何物でもないと言えよう。彼は政府に忠実な官僚であり、投石事件でその去就が注目されたが、処分されることはなかった。安場は熊本出身であるが、薩長閥と呼ばれ、有司専制あるいは藩閥専制と称されていた当時の政府の中で忠実な官僚としての行動であったようだ。
 ほとんどの国民が立憲主義の意義を理解していない中で軍国主義が胎動し、修猷館と福岡二十四連隊衝突事件が発生したのだが、その後も立憲主義への関心が国民の間に高まったわけではなかったようだ。福岡の地に芽生え始めたかに見えた立憲主義思想も、さしたる動きとならず、それから四年後、日清戦争が始まると軍国主義は新たな進展を見せ、修猷館でも連日のように博多駅で出征兵士の見送りが行われるようになった。事件は単なる中学校と軍隊の衝突としてその内容のほとんどが忘却され、今日に至ったというのが実情である。


【著者紹介】水崎雄文(みずさき・たけふみ)

1936年,朝鮮京城府(韓国ソウル市)に生まれる。西南学院中学校,修猷館高等学校卒業。九州大学大学院修士課程修了。在学中は九州中世史専攻。その後福岡県立4高校の教諭を歴任,在任中,『修猷館二百年史』(修猷館二百年記念事業委員会発行,1985年)編著に携わり,1997年退職後,校旗研究に専念,『校旗の誕生』(青弓社,2004年)を出版。