『田舎日記・一文一筆』文 光畑浩治/書 棚田看山
■本体1800円+税/A5判変型/240頁/並製
■ISBN978-4-905327-34-9 C0095
■日本図書館協会選定図書
■各紙に紹介されました。
「墨」7・8月号/「西日本新聞」北九州・京築版 5.27/「朝日新聞」京築版 5.27/「毎日新聞」京築版 5.27/「読売新聞」京築版 5.27
「コンニャクででも字は書けると棚田くんは言うんだから」
かつて京都〈みやこ〉とされた地の片隅に閑居。人や歴史、郷土の偉人、世相をめぐってゆるりと綴られたエッセイ108話VS.108種類の筆で揮毫された一文字墨書108字──遊び心に満ちた、前代未聞のコラボレーション。
■前田賤氏(瓢鰻亭ひまわり主宰)寄稿
■使用した108種類の筆
ヒツジ(49)/山馬(6)/イノシシ(4)/ウマ(2)/ネズミ(4)/ネコ(2)/クジャク/ムササビ/サル/リス/ニワトリ/テン/マングース/ブタ/オナガドリ/トンビ/ヒツジ+ネコ/ワラ(6)/カズラ(4)/ススキ(2)/シュロ(2)/アシ(2)/草/タケ/コウボウムギ/ナイロン/紙紐/半紙/画筆/コンニャク/胎毛(5)/頭髪[女生徒]
「一〇八の魂」
〜『田舎日記・一文一筆』において、108種類の異なる筆で書き上げた書家・棚田看山氏を追ったドキュメンタリー〜
監督・撮影・編集=橘剛史氏 http://www.takafumitachibana.com/(橘氏の略歴は、どうぞ下の本文見本をご覧下さい)
出演=棚田看山、光畑浩治 「YouTubeに『一〇八の魂』」
一〇八の筆 〜『田舎日記・一文一筆』刊行にあたって〜 光畑浩治
畏友、棚田看山、書家。彼と共著の本を出すことになった。瓢鰻亭ひまわり(福岡県みやこ町豊津)のミニコミ誌「ひまわりばたけ」連載の「田舎日記」が五年を経て六〇編になった。これに「書き下ろし」四八を加え「六根の百八煩悩」一〇八編にしての出版だ。一文は「千字文」で、タイトルは『田舎日記一文一筆』。
随想一文を、看山先生が読み、それに一字の漢字を揮毫。一文一筆だから一〇八の漢字ができる。その一字、一文字を描くのに、全て筆を換える挑戦を依頼した。筆の大、中、小の違いはもちろんだが毛の剛、柔など、いろんな毛筆に拘った。筆の毛は、羊、馬、猫、鼬、豚、栗鼠、鼠、猪、鶏、かずら、棕櫚、竹、ススキ、葦、藁、鳶、マングース、テン、孔雀、麦、胎毛、半紙、人毛など様々な筆を使用する。市販モノ
から手づくりモノまで、要するに、何にでも墨をつければ筆になり、書が描ける精神で、紙縒りやナイロン、果てはコンニャクを使って揮毫する。ただ特異な技術は長年の精進あってのこと、だが、目から鱗の筆の談義ではある。
一〇八種類の筆で揮毫を済ませた。まさに一筆、一筆、全神経を集中させての揮毫だったようだ。依頼して八ヵ月、作品が仕上がった。彼の書に対する情熱は凄い、今回の一字一書、同じ筆で同じ字を何枚も、何枚も書き重ね、苦しみ思案した後、筆を使うというより、筆の持ち味を生かすこと、と気づき、書き易くなった。納得の書が生まれた。そして一書、一書に筆の味がでてきた。これは修練の賜物だろう。
彼は、小学校三年、八歳から書を習い始め、書の道に進み、高校の書道教師としての人生を歩んできた、もうすぐ書の還暦を迎える。書斎を「蕉葉硯斎」と名付ける。何人か、尊敬する書の先輩はいた、が、会などの組織には属さず、群れず、独立独歩、わが道ひとり道を歩んできた。とくに中国の古い書に親しみ、研究を重ねた。
彼は、日本では「素朴な美しさ、キラリと光る」良寛の書が好き。中国明代末(一五〇〇年末)の書家・董其昌(とうきしょう)を慕い、その「董」の字を採り幕末から明治にかけて活躍した小笠原藩の書家・下枝董村(一八〇七〜八五)の書を目標とする。書の極意は「かたい筆でやわらかな書をかく」のと、守破離の精神で究極「書は技術を捨てる」と説く看山先生。書でいっさいの煩悩を消し去って欲しい。
(「ひまわりばたけ」4月号より)
【本文見本】
上左)エッセイ:60 こだまでしょうか/書:「魂」イノシシ
上右)エッセイ:80 三つの坂/書:「笑」(ヒツジ)
下)エッセイ:107 映画監督・橘剛史/書:「像」ヒツジ
【著者紹介】光畑浩治(こうはた・こうじ)
1946年、福岡県行橋市生まれ。1965年、福岡県立豊津高等学校卒業。1968年、行橋市役所に入所。総務課長、教育部長などを経て、2007年に退職。著書=『ふるさと私記』、編著=『句碑建立記念 竹下しづの女』、共著=『ものがたり京築』、『京築文化考 1〜3』、『京築を歩く』
【著者紹介】棚田看山(たなだ・かんざん)
1947年、福岡県みやこ町生まれ。1965年、福岡県立豊津高等学校卒業。1969年、福岡教育大学特設書道科卒業。1971年、福岡県立大里高等学校教諭(書道)を振り出しに、八幡中央、京都、豊津を経て北九州高等学校で定年退職。2008〜14年、行橋市歴史資料館に勤務。共著=『三輪田米山游遊』