『儒学者 亀井南冥・ここが偉かった』早舩正夫著
■本体3000円+税/A5判/400頁/上製
■ISBN978-4-905327-23-3 C0023
■もくじ
■各紙に紹介されました。「京都新聞」2.10/「西日本新聞」1.22
浦辺登氏書評 2023.7.20
筑前亀井ほどの学者は京都にもいないーー森鴎外
福岡が生んだ「亀門学」の創始者、その瞠目すべき人間像と生涯。
朝鮮通信使との詩文応酬、そして金印の鑑定で知られる亀井南冥。町医より福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)館長に抜擢され、亀門学を創始。六代目の孫にあたる著者が、明治に入り渋澤栄一により再評価された『論語語由』の現代性を読解、「儒侠 」とも呼ばれた人間像に迫る。
【序より抜粋】
わが国の儒学界がもっとも昂揚したのは、元禄から享保にかけてで、京都の伊藤仁斎・東涯、江戸の荻生徂徠らを代表として瞠目すべき一時期を劃した。しかし学界の隆盛も享保を境に停滞期を迎える。こうした時あたかも思想界の沈滞を打破する旗手として九州福岡の地から亀井南冥・昭陽父子が登場する。
南冥は元来布衣の人である。一般民間人であって武士階級、すなわち支配階級の人ではない。この立ち位置こそ亀井の学の背骨であった。
昭和五十三年四月、九州大学の荒木見悟教授を中心とした『亀井南冥・昭陽全集』刊行会が発足する。庄野寿人により平成元年博多湾内の能古島に用地を取得し、ここに私財を投じて亀陽文庫を中心にして亀井一門の諸資料を展示する「能古博物館」を創設する。こうして明治以来多くの人々が探求しつづけた亀井の著作物と関連諸資料が、窺い知られることとなった。
人の心を惹きつけてやまない亀門の学の魅力の本筋はどこにあるのか、その偉大さは何なのか。早舩氏の新著『亀井南冥・ここが偉かった』はこの問いに正面から解答を与えようとする。時宜にかなった待望の書である。
---町田三郎氏 九州大学名誉教授
【著者の言葉より】
私は亀井南冥六代目の孫に当たる。私の祖母ミキは、昭陽の孫である玄谷の二女である。祖母には亀井塾の記憶の断片が遺っており、それらを幼い私に語って聞かせることがあった。それだけに「亀井南冥先生は偉かった」との思いは幼時より抜きがたいものがあった。しかし、南冥はどこが偉かったのか、客観的に掛け値のない時代を超えた評価について、ついぞ納得しないまま、馬齢を貪ってきた。これではならじと、この二十年来少しずつ書きためてきた。これが本書である。
【著者紹介】早舩正夫(はやふね・まさお)
1924(大正13)年,福岡市生まれ。福岡県立中学修猷館,旧満州国建国大学,九州帝国大学法文学部(経済科法科)を卒業。福岡銀行を定年退職後,諸会社に勤務。中国古典は,『大学』,『論語』を建国大学において学ぶ。福岡地方史研究会会員。福岡市在住。