『亀井昭陽と亀井塾』河村敬一著
■本体1500円+税/四六判/145頁/並製
■ISBN978-4-910038-71-1 C0021
■2023.3刊
■書評:
浦辺登氏書評 2023年5月
■著書:『亀井南冥小伝』(2013年)
福岡藩の儒学者であり、父南冥の学業を継ぎ、
亀門学を大成した昭陽の教育に懸ける情熱と波乱の日々
1798年、福岡藩西学問所甘棠館は大火により学舎が焼失、廃校となる。祭酒(館長)であった亀井昭陽(1773−1836)は平士の身分となりながらも、父南冥の学業を継いで『論語語由述志』、『家学小言』他膨大な著述を残し、明治初期まで続く亀井塾を守り育てた。その生涯と学問。
目次
はしがき
文献引用について
T 亀井昭陽の生涯 略年表風に
一・一─昭陽と亀井の五亀について
一・二─昭陽年譜考
U 昭陽の人柄と学問
二・一─南冥との違いとその人柄
二・二─学問観
V 著作をめぐって
三・一─原典資料文献から
三・二─『読弁道』の内容
三・三─『家学小言』に見る学問
三・四─和文の「防海微言」
W 亀井塾で学んだ人々
四・一─学問所から私塾へ
四・二─私塾の始まり
四・三─亀井塾に列なる人々
引用・参照文献
あとがき
「はしがき」より抜粋
小著は、前著『亀井南冥小伝』(二〇一三年、花乱社)の続編に当たると言ってよいもので、亀井南冥の長子昭陽(一七七三〜一八三六)について生涯と学問及び亀井塾を中心とした内容をまとめたものにすぎない。前著と重複する箇所もあるが、亀井父子について触れた内容であるため、どうしても避けて通ることができなかったからである。
前著を刊行して以来、かなりの時間が経過したが、その理由は、一つには、昭陽自身の文章を読もうとしてもそのほとんどが漢文で、しかも難しい漢字ばかりで、とても歯が立たない著作であったことにある。二つには、南冥ほどに研究された文献が少なかったとともに、文献探索に時間が要したことである。(略)
彼の生涯は父南冥の蟄居以後、激変していき、烽火台での勤務もあり、決して閑居な生活ではなく、学問研究との関連で言えば多忙ではなかったろうか。また、学問に没頭することが、彼自身にとっての大切な営みであったとさえ言えるのではないだろうか。まさに、昭陽が交流した多くの人物をみると、父南冥と同様に重要だと言えよう。甘棠館以後の教育活動も大変な運営ではなかっただろうか。これらのことを思うと、彼の学問がどのように展開し、どのように変化していったのかなどもう少し探究していかなければならないのである。
【著者紹介】河村敬一(かわむら・けいいち)
福岡県福岡市に生まれる
高校,大学,看護学校での教育に携わる
著書:『公民科教育研究序説』(甘棠社,1996年)
『思想の世界を旅する─東西思想史ノート』(遊タイム出版,2002年)
『東洋思想のなぐさめ』(創言社,2008年)
『亀井南冥小伝』(花乱社,2013年)
『罪責・懺悔・反省』(一粒書房,2018年)など
共著:『貝原益軒』(西日本新聞社,1993年)
『教育のなかの宗教』(新書館,1998年)
『新道徳教育全集 第5巻』(学文社,2021年)
編著:『儒学者 亀井南冥と関係のあった人たち』(能古博物館,2021年)