図書出版

花乱社

『豊前国苅田歴史物語』小野剛史著

■本体1500円+税/四六判/212頁/並製
■ISBN978-4-905327-52-3 C0021

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古墳と自動車の町・苅田町。その影に隠れて語られることのなかった戦国・幕末・近代の歴史物語を、三十数年にわたって苅田町の歴史に寄り添ってきた元役場広報マンが紡ぎ出す。やさしく読める初めての苅田町郷土史。城・峠・港ー歩いて学ぶ物語。



【目次】
■序章 物語を歩く─神ノ島と青龍窟を結ぶ豊玉姫

■第一章 戦国「城」の物語堅固第一─豊前松山城攻防戦
 松山城祉に登る/伝説の中の松山城/大内氏と杉氏/大寧寺の変と杉重矩/大友義鎮と毛利元就/門司合戦と蓑島海戦/小早川隆景の松山城入城/高橋鑑種の反乱/毛利氏の九州撤退/杉重良の反乱/黒田官兵衛の布陣/松山城の改修と廃城
 :大内氏の豊前国支配の拠点であり、毛利氏と大友氏の熾烈な争奪戦が繰り広げられた松山城。名将・小早川隆景が豊前国で堅固第一と賞賛し、黒田官兵衛によって大改修された山城の話。

■第二章 幕末「峠」の物語倉兵剽悍─小倉戦争狸山の陣
 松山の遠見番所/島村志津摩の改革/長州藩との確執/小倉戦争勃発/苅田百姓一揆/狸山峠攻防戦/二崎の志津摩桜
 :幕末、小宮民部率いる小倉藩軍が雨窪村を本陣に、狸山峠で長州奇兵隊を迎え撃ち、ゲリラ戦を展開。

■第三章 近代「港」の物語海岸移動─九州屈指の国際貿易港建設
 遠い白浪/塩田の開発/塩尻法の謎/石灰石をめぐる企業進出/苅田港の建設/国際貿易港と臨海工業用地離 陸─新しい物語の始まり
 :昭和十年代、国策によって建設された苅田港。太平洋戦争に翻弄されながらも、戦後は九州屈指の国際貿易港に成長。
参考文献/あとがき


【序章より】
 「苅田」はなぜカンダと読むのでしょうか。
 『日本書紀』によれば、安閑天皇の代に、豊前国に五か所の屯倉が設置されましたが、その一つである肝等屯倉が苅田町にあったと推定されています。
 平安時代になると、『和名抄』には京都郡の四つの郷の一つとして、「刈田郷」が記されています。一方、『本朝世紀』には「賀田郷」が見えます。鎌倉時代になると、宇佐宮弥勒寺の荘園として「苅田荘」が出てきます。「刈」に草かんむりが付いています。
 「カンダ」については、刈田から苅田に変化したという説と、「かと」、「かた」のようにもともと「カンダ」という読みがあったという説がありますが、定かではありません。
 ちなみに「京都」郡についても触れておきます。『日本書紀』によれば、景行天皇が筑紫に到り、豊前国長峡県に行宮を営んで住んだため、この地を「京」と名付けたといわれています。また、『和名抄』では、「京都」に「美夜古」というルビをふっています。
 


【著者紹介】小野剛史(おの・たけし)

略歴 1956年,福岡県京都郡犀川町(現みやこ町)に生まれる。福岡県立豊津高等学校(現育徳館高等学校),熊本大学卒業。苅田町職員となり,長い間,広報を担当。苅田町合併50周年記念誌『軌跡かんだの歴史』(2005年)を編集・執筆。2014年4月,苅田町教育委員会に新設された「まちの歴史担当」に就任。共著に『京築を歩く』(海鳥社),『田川・京築の歴史』(郷土出版社)など。美夜古郷土史学校,かんだ郷土史研究会,苅田山城研究会の会員。