『瀬戸焼磁祖 加藤民吉、天草を往く』示車右甫著
■本体1600円+税/四六判/284頁/並製
■ISBN978-4-905327-46-2 C0021
■各紙に紹介されました。
『炎芸術』2015秋 No.123 「中日新聞」7.2 「東日新聞」6.19
■著書:『日朝交隣外史ノート』
『わたつみの雄・阿曇族』
文化元(1804)年、熱田奉行津金胤臣より命を受け、瀬戸の陶工民吉は、天草の東向寺・天中和尚を頼って一人九州へと渡る。日本での磁器生産は17世紀初頭、有田を中心に始まったが、瀬戸では200年立ち遅れていた。
下関から博多、熊本と旅し天草へ。そこから4年の間、高浜焼、三川内焼、佐々・市の瀬焼、有田焼と、肥前・肥後各地の皿山を遍歴する中で、様々な苦難を乗り越え、天草陶石と出会い、ついに色絵の秘伝に達する──。
瀬戸に戻った民吉は磁器焼の振興に尽くし、瀬戸焼は飛躍的な発展を遂げる。現在、民吉は窯神神社に祀られている。
瀬戸焼の礎を作った磁祖・加藤民吉の知られざる九州での修業時代とその生涯を史実に基づき忠実に追った歴史小説
【「風火神童君」より抜粋】
瀬戸の染付焼は、瀬戸の誇りである。末長く保持していくのが我家の努めである。研鑽これを尽くし、工夫怠りなく、他に伍していかねばならぬ。この時にあたり、肥前に錦手あり。瀬戸には未だなきものなるも、いずれ、瀬戸にも錦手を求める時勢到来は必至である。よって、この探究を疎かにすべきではない。
錦手に二種ある。一つは、白磁色絵である。あとの一つは、磁胎色絵である。磁胎色絵は、かくて、数彩にして数層の豪華絢爛たる金襴手(きんらんで)として成長していくだろう。この二種の色絵磁器製法に功拙ありといえども、その好悪は、人の好みによる。
焼付の要はつまるところ、その土なり、その石なり、その火なり。よき陶石こそ、妙なる炎こそ、焼物の成否を左右するものである。以上民吉が会得せし陶法を秘伝する。よろしく口伝し、いやしくも他言するなかれ。
【著者紹介】示車右甫(じしゃ・ゆうほ)
1931年,福岡市に生まれ。
【著書】
『断食者崩壊』(1967年,福岡市民芸術祭賞)
『天草回廊記』(上・下,文芸社,2006・08年)
『対馬往還記』(海鳥社,2009年)
『天草回廊記 志岐麟泉』(海鳥社,2010年)
『天草回廊記 隠れキリシタン』(海鳥社,2012年)
『廃仏毀釈異聞』(海鳥社,2014年)
『歴史探訪 天草興亡記』(海鳥社,2015年)